2016年8月24日 水曜日

大山

弥山 1,710 m

 前日は移動日で登山口の南光河原駐車場に車中泊。当日3時起床、4時5分登山開始。当初は三鈷峰に登ってから弥山に登るつもりでいたが、昼からくもりの予報だったので、まず弥山へ向かった。森林限界を超える六合目付近からは展望が開けて、弥山山頂からは360度の大展望を楽しめた。弥山の後は三鈷峰へ登るつもりでいたが、予想以上の気温の高さと疲労を考えて見送った。もし先に三鈷峰へ向かっていたら大変な登山となった上に、昼前には山頂にガスがかかっていたので弥山の展望も見逃すことになっていただろう。出発前に天気を確認して計画変更したことが吉と出た。行者コースでの下山途中、元谷から眺めた大山北壁は大崩落しており、立入禁止となっている最高峰の剣ヶ峰(1,729m)に登れる日が再び来ることはないように思えた。

 三鈷峰をカットして下山時刻が5時間ほど早まったので、明日の予定を前倒しして、午後から松江城などを見て回ることにした。

登山コースデータ
単純標高差 : 945 m
累積標高差 : 970 m
コース距離 : 7.6 km
標準コースタイム : 5 時間 55 分
歩行データ
総歩行時間 : 5 時間 30 分
総行動時間 : 6 時間 10 分

 コースタイム

>南光河原駐車場 4:05 ⇒ 5:45 六合目避難小屋 5:50 ⇒ 6:55 大山(弥山) 7:20 ⇒ 石室 7:40 ⇒ 六合目避難小屋 8:30 ⇒ 元谷入口(大堰堤) 9:20 ⇒ 9:35 大神山神社奥宮 9:45 ⇒ 南光河原駐車場 10:15

登山前日

23日 9:00 自宅を出発

いきなり圏央道の災害渋滞にハマって出鼻をくじかれた。

11:50 入間IC付近で高速脇の山林が土砂崩れ。先は長いのに、これが原因で2時間ロスした。

17:15 西宮名塩SAで夕食の天ぷら蕎麦を食す。

16:20 高速の先に日が沈む。すでにかなりの疲労度だったが、まだまだ運転は続く。

日没後の夕焼けが綺麗だった。

米子自動車道の溝口ICで下りる予定だったが、大山登山口周辺にコンビニがなさそうなので、迷った末に米子まで行くことにした。途中でコンビニのあるSAに寄っておくべきだったとほぞをかむが後の祭り。20:35 高速を下りてすぐに中国地方を中心に展開しているコンビニ・チェーン「ポプラ」を見つけた。その後米子大山線で大山へ向かったが、周囲は真っ暗闇でコンビニなどありそうもなかった。21:00 大山登山口・南光河原駐車場に到着。ガラガラの駐車場に車中泊らしき車が4台停まっていた。夜は暑くて寝苦しかったが、0時を回る頃には涼しくなった。

大山登山当日

3:00 起床

起きてすぐに天気予報を確認。朝のうちは晴れ、昼にはくもりの予報だったので、先に弥山を登ることにした。4:05 南光河原Pを出発。車道を数分歩いて登山口へ。

登山道はよく整備されていて、1合目毎と、標高100m上がる毎に、道標があった。

暗闇を上り始めてすぐに学生集団に抜かされたが、彼らが休憩中に我々が抜き返した。ペースの速い彼らの先頭集団にまた抜かされて、先頭集団が後続を待っているところを我々がまた抜かす、ということを4合目付近まで何度も繰り返した。少々煩わしくなってきて、先頭の男子3名は後続のペースに合わせてくれないかなぁと感じたが、上るペースは人それぞれなので仕方なし。

登山道でカエルを見つけた。

しばらく進むと、またカエルがいた。

5:30 5合目を通過。朝から風がなくてむし暑かった。5時を回って明るくなってきた。

5合目付近からは展望も開けてきた。北西方面には美保湾と弓ヶ浜が見えた。

行者谷別れの分岐を通過して、5:40 三鈷峰の隣に朝陽が昇ってきた。

整備された道が続く。

5:45 避難小屋のある6合目に到着。

六合目避難小屋と大山の山頂稜線。ボトルにドリンクを補充して先へ進んだ。

6合目からは森林限界を超えて展望がさらによくなった。度々足を止めて、眺めを楽しみながら上った。

6:00 太陽がちょうど三鈷峰の頂にきた。

標高1,500mを超えてさらに上る。美保湾の手前に見えるのは孝霊山。

登山道脇に群生していたキュウシュウコゴメクサ。

キク科シオン属のゴマナ。

西側には大山の影が見えていた。

足を止めて振り返っては背後の眺めを楽しんだ。

6:25 8合目を通過。

目指す弥山の山頂が見えてきた。その左は入山規制中の剣ヶ峰。

西側の裾野にくっきり見えた影大山。富士山のように形がよい。

8合目を過ぎると木道になった。

シコクフウロ。枯れかけののが多くて、なかなかよい形のものがなかった。

キク科のアキノキリンソウ。

キンポウゲ科のサラシナショウマ。

開放感抜群の尾根を歩く。登山者はまだ少なくて、学生集団もいつしか振り切っていた。

標高1,600mを超えて、山頂が近くなってきた。

6:40 石室との分岐を通過。

石室の分岐から数分で9合目を通過。大山は出雲国風土記「国引きの神話」に登場し、古代から「神々がおわす山」としてあがめられてきた。日本海側にそびえ立つ独立峰だけあって、稜線からの展望は素晴らしかった。

ダイセンキャラボクなどの植生保護のために作られた木道は、山頂までゆるやかに延びていた。ハイカーを信用しないかのように延びているロープが、ちょっと目障りに感じた。

中国地方の最高峰である大山は、鳥取県西部の旧国名が伯耆国であったことから伯耆大山(ほうきだいせん)、あるいはその山容から伯耆富士とも呼ばれる。さらに大神山や、大山寺の山号である角磐山(かくばんざん)という別名もある。

頂上避難小屋を通過。小屋の中に人の気配があった。

小屋から山頂はひとのぼり。

6:55 弥山山頂に到着。先客が数名休んでいた。

実際の弥山山頂は数10m先だが、ロープで遮られて立入禁止。ものの数分で行ける距離なのだが…。

山頂の石碑で記念撮影。

山頂のシンプルな方位盤。

ロープで仕切られた木段はけっして広くないので、団体が来たらすぐ手狭になってしまいそうだった。

東方面。左は弥山山頂、中央は剣ヶ峰。右奥には蒜山(ひるぜん)も見える。ここから先は崩落で立入禁止だが、剣ヶ峰まで縦走できたらと思わずにはいられない。ちなみに冬になって雪が積もると剣ヶ峰まで行ってもよいらしい。

南東方面の眺め。左の鋭角な山は烏ヶ山(からすがせん)。

南西方面の眺め。

北西方面。山頂避難小屋の向こうに中海と美保湾が見える。右には孝霊山。

名前の通り弓形の綺麗な曲線を描く弓ヶ浜と美保湾。

北方面。遠く日本海と雲が一体に溶け合っている。おにぎりを食べながら、しばし360度の大展望を楽しんだ。

7:20 弥山山頂を後にした。

ゴマノハグサ科のナンゴククガイソウ。

下りは石室側を進んだ。あまりに眺めがよいので、同じような写真を何枚も撮ってしまった。

下りながら三鈷峰へ登るかどうか考えた。気温はさらに上がるだろうし、天気の崩れも気になる。なにより弥山山頂の大展望に十分満足してしまった。今後三鈷峰に登る機会はないかもしれないが、カットするという判断は案外簡単だった。

7:40 石室を通過。

石室の中には古くなった丸太や標識が放置されていた。

石室からは、夏山登山道合流点まで少し上り返す。

陽が高くなって小さくなった影大山。麓のゴルフ・コースがいくつも見えていた。

大山の夏山登山道は8割方木道や丸太で整備されているので、子供でも安全に登れる。

8合目付近から眺めた東側。真ん中右に三鈷峰、その右奥は矢筈ヶ山(やはずがせん)で、左奥は甲ヶ山(かぶとがせん)。手前の鋭角な岩稜は、大屏風岩だろうか。(それともエボシ岩かな?)

南東側には弥山と剣ヶ峰。

米子市街と日本海を眺める。右の山麓には大山登山口の駐車場や集落が見える。

三鈷峰(1,516m)と同じくらいの高さまで下りてきた。

紺碧の空には月が浮かんでいた。

大きな荷物を背負った女性歩荷とすれ違う。歩荷をする女性はあまりいないだろうから、アルピニストかも。

どんどん下って、森林限界の終わりがすぐ来てしまった。

樹林帯を下る。

8:30 6合目の避難小屋を通過。日陰がないのが難点だが、10人近くの登山者が休憩していた。

10分ほど下ると、行者谷別れの分岐となった。ここから行者コースへ進む。

しばらくは急な下りが続いた。

そのうち周囲は美しいブナ林となった。大山の標高1,300mから800m付近は、西日本最大級のブナ林に覆われている。

樹林が強烈な日差しを遮ってくれたが、風がなくてとても暑かった。

木洩れ日の中、さらに行者谷を下る。

9:05 元谷の広々としたガレ場に出た。背後には大山の北側斜面が屛風のように広がる。

足下はすべて崩落して溜まった土砂や岩石。

度々足を止めて元谷の壮観な眺めに時を忘れた。

9:20 元谷入口からは再び樹林帯に入った。

途中、下宝珠越(しもほうじゅごえ)への分岐を分けて進む。

森の主といった感じの巨大なスギ。

9:35 大神山神社奥宮に到着。御祭神は大己貴神(おおなむちのかみ=大国主神)で、大山そのものが御神体。左右に延びる長い廊下は翼廊(よくろう)と呼ばれて両翼50mにも及び、建物の長さから僧房のような印象を受ける。隠岐を脱出した後醍醐天皇がここで鎌倉幕府打倒の祈願をしたと云われるが、最盛期の栄華が偲ばれる。

1805年再建の壮観な社殿は、国内最大級の権現造りで重要文化財。社殿内部は色鮮やかな彩色壁画と天井画に囲まれており、柱は日本最大級の白檀塗り。御神馬や御神輿も飾られていた。

拝殿の裏側に回って見た本殿。大神山神社は大山に登る修行僧の道場として、平安時代に簡単な遥拝所を設けるようになったのが始まりと云われる。神仏習合時代、大山寺の中にあって、「大智明権現社(ちみょうごんげんしゃ)」と呼ばれていた。

末社・下山神社。本殿・拝殿・幣殿は大神山神社と同じく権現造りで、こちらも国の重要文化財。優美に反り上がった軒が見事です。近くに社殿をスケッチしている若者がいた。

大神山神社の南東側に見えるのは大山北壁。

9:45 ひと休みしてから移動開始。

鎌倉から室町時代にかけての大山寺は隆盛を極め、僧兵3000名を抱えて高野山金剛峯寺や比叡山延暦寺と肩を並べる大勢力を誇ったと云われる。確かに石垣に囲まれた社殿は堅牢なイメージで、どこか威圧感がある。

神門は1857年建築の四脚門。通称「逆さ門」とも呼ばれ、扉が逆向きに開くようになっている。明治時代の神仏分離令によって大山寺からそのままの向きで移築されたために逆さとなっているが、神社建築の形式としてはこの向きでよいらしい。

大神山神社へ続く参道は約700m。自然石を敷きつめたものとしては国内最長らしい。

延々と続く石畳の道。

自然石の山道は少々歩きづらいが、何とも言えない風情があった。

自然石に刻まれた「吉持地蔵」。江戸中期に吉持甚右衛門が寄進したもの。

下から登ってくる子ども連れの家族を見かけたが、疲れた子どもは石畳に座り込んでいた。

10:05 古い石畳が終わる鳥居まできた。

鳥居からさらに進み、麓の旅館街を通過。

適当に進んでいたが、遠くに大山寺橋が見えて駐車場の位置が分かった。

10時を回って、早くも大山山頂部に雲が湧き始めていた。早朝から弥山に登って正解だった。

大山寺橋近くのモンベル大山店。

橋を渡って、10:15 満車になった南光河原駐車場に到着。この後松江城へ向かった。

翌25日

出雲大社から姫路城へ向かう途中に米子市側から眺めた大山。

米子自動車道・蒜山高原SA付近から眺めた大山。山の表情がまるで違う。