2019年4月8日 月曜日

英彦山

南岳 1,199 m

 5時半起床。英彦山神宮の銅鳥居(かねのとりい)には8時過ぎに到着。予備知識はそれほどなかったが、銅鳥居から奉幣殿へ真っすぐ伸びる参道は、遠近法的な奥行きを感じさせて視覚的に心地よく、歩くほどに苔むした石畳と樹々の豊かな彩に魅了された。中岳山頂付近の荒廃ぶりには寂しいものを感じたが、山頂付近の展望は素晴らしく、南岳から鬼杉への下りには修験道の山らしい険しさもあって、歩いていて楽しかった。

 英彦山は、古より神奈備(神域)とされる霊山で、日神(ひのかみ 太陽神)たる天照大神の子である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀ることで「日の子の山」、即ち「日子山(ひこさん)」と呼ばれてきた。中世以降、英彦山権現を祀る修験道の霊場として栄え、最盛期には3,000人もの衆徒と800もの坊舎を数えたと云われる。山形の羽黒山、奈良の大峰山とともに「日本三大修験山」に数えられるとともに、新潟の弥彦山、兵庫の雪彦山とともに「日本三彦山」にも数えられる山である。

登山コースデータ
単純標高差 : 659 m
累積標高差 : 975 m
コース距離 : 8.6 km
標準コースタイム : 5 時間 5 分
歩行データ
総歩行時間 : 5 時間 10 分
総行動時間 : 6 時間 10 分

 コースタイム

銅鳥居P 8:35 ⇒ 9:10 英彦山神宮(奉幣殿) 9:20 ⇒ 10:05 中津宮 10:10 ⇒ 11:00 中岳(上津宮)11:25 ⇒ 北岳 11:35 ⇒ 11:50 中岳 11:55 ⇒ 南岳 12:05 ⇒ 13:05 鬼杉 13:20 ⇒ 英彦山神宮(奉幣殿) 14:25 ⇒ 銅鳥居P 14:45

 

5:30 起床。朝方は曇りがちだったが、天気は晴れの予報だった。当初は由布岳に登って晩は別府の温泉宿に泊まり、明日帰路に就く予定で宿には予約も入れていたが、明日も晴れの予報が出ているのを確認して、もう一座登れないかと欲が出てきた。追加で登るなら近場の英彦山だろうが、明日は宿泊先で朝食を食べてからの出発となるため、登山口まで遠い英彦山を先にして、予定していた由布岳は翌日へ回すことを決めた。事前の下調べはほとんどしていなかったので、携帯で英彦山の登山コースを調べてメモ書きし、英彦山神宮の銅鳥居の駐車場をナビに設定。二百名山なので道標が整備されているだろう信じて、英彦山へ向かった。

8:15 まだ一台も停まっていない銅鳥居近くの駐車場に到着。もう少し下にも広い駐車場があった。

8:35 英彦山神宮の銅鳥居(重文)をくぐって登山開始。高さ約7mの青銅製の銅鳥居は、佐賀藩主・鍋島勝茂公の寄進によるもの。霊元法皇による「英彦山」の勅額が当時の威勢を偲ばせる。

真っすぐに伸びる石畳の参道に一目で魅了され、これは来て正解だったと直感した。

緑豊かな参道に綺麗な桜が残っていた。英彦山は元々「日子山」と表記されていたが、819年弘仁10年、嵯峨天皇の詔(みことのり)によって「彦山」に改められ、1729年(享保14年)には霊元法皇より「英」の字を賜って現在の表記となった。

浄境坊跡。参道の両脇に宿坊跡が多数残されていた。

当時のままの姿を残した唯一の宿坊である財蔵坊。現在は町立英彦山歴史民俗資料館となっている。

歴史を感じさせる苔むした石畳と参道を彩る豊かな自然が、見事な調和を感じさせる。

2005年に完成したスロープカーを利用すれば、労せずして奉幣殿へ行き着くが、この参道を歩かないのはもったいない。

今回の九州遠征では至る所で綺麗な桜を目にすることができた。よい天気が続いたことも手伝って、さらに九州の印象がよくなった。

スロープカーの花駅に通じる車道を横切り、さらに登ると大きな鳥居が見えてきた。車道にはお土産屋などがあり、別所駐車場もあるので、そこに車を停めて奉幣殿へ向かうこともできる。

高さ8mの宝篋印塔(ほうきょういんとう)。1817年(文化14年)に、肥後(熊本)の高僧で全国に2千有余もの仏塔をつくった豪潮律師(ごうちょうりっし)が建てたもの。

参道脇に建てられた立派な石標。

逆光なので太陽が入らないように写真を撮っていたのだが、よい具合に樹枝が見事な光芒を作り出していた。

桜の花びらが舞う石段の先に建物が見えてきた。

9:10 英彦山神宮に到着。まっさきに奉幣殿の杮葺きの屋根から立ち上がる湯気に目が行った。湯気が見えたのはしばらくの間だが、屋根が生きて呼吸をしているように思えた。

英彦山神宮の奉幣殿。屋根は入母屋造の柿葺で、桃山時代の様式が残っている。英彦山修験道の中心的建造物だったかつての霊仙寺大講堂で、1616年(元和2年)に小倉藩主細川忠興によって再建された。

休憩所が併設された境内の札所。右の手水舎の奥には室町時代初期の梵鐘がある。

9:20 奉幣殿横の石の鳥居から中岳の上宮へ続く英彦山参詣コースへ。ちなみに英彦山は、鳥居を境に「四土結界(しどけっかい)」と呼ばれる四つの世界に分けられている。石の鳥居から中岳山頂部にある木の鳥居の間は、修行専念の聖域、菩薩界である「実報荘厳土(じっぽうしょうごんど)」である。

ちなみに、銅鳥居より麓は、凡人と聖者が同居する凡聖雑居界である「凡聖同居土(ぼんせいどうきょど)」、銅鳥居と石の鳥居の間は仮の浄土、行者界である「方便浄土」、山頂部の木の鳥居から上は永遠絶対の浄土、仏界たる「常寂光土(じょうじゃくこうど)」。

石段を上って行くと、5分ほどで下津宮(下宮)についた。御祭神は速須佐ノ男命(はやすさのおのみこと)、神武天皇、大国主命。

拝殿の中にの様子。

さらに石段を上って行く。

石段脇のの苔むした巨樹。

長い年月を踏まれて周囲の景観と調和した石段。こうした場所に非日常的な趣を感じるのは、目に見える表層から見えるはずのない歳月の重なりが確かな実相としてイメージできるからだろう。

30分ほど石段を上りつめると一旦下りとなった。

再び上りとなり、傾斜が増した。

少し足場の悪い急な鎖場を上る。登山道らしくなってきた。

次は丸太で整備された急坂を上る。

道が平坦になり、中津宮(中宮)の鳥居が見えてきた。

10:05 中津宮に到着。御祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめみこと)、多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)、多岐津毘売命(たぎつひめのみこと)の宗像三女神。真新しい石材の社殿だったが、元の社殿は平成3年の台風で倒壊してしまったらしい。

しばらくは平坦な木漏れ日の道が続く。しきりに聞こえる鳥のさえずりが心地よかった。

ときおり樹林が切れて、周囲の眺めがよくなってきた。

中岳の山頂部が見えてきたが、疎林となった山肌が気になった。

立ち枯れの中に、天高く伸びるスギの巨樹が点在していた。

広場のような場所に産霊神社(むすびじんじゃ)があった。御祭神は英彦山の本来の主祭神とも云われる高皇産霊神(たかみむすびのかみ)。高皇産霊神は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)と合わせて造化三神と呼ばれている。

原型を失いつつある鳥居の先に、上津宮(上宮)まで続く石段が延びていた。場所的に「木の鳥居」だと思われるので、ここから先は永遠絶対の浄土であり、常寂光土の仏界となる。

山頂下の山肌は倒木や立枯れで荒涼としており、正直荒れ放題という印象を受けた。食害防止用(?)のネットが張られて養生しているようにも見えたが、残念な状況に思えた。

驚くべきことに、山頂直下まで大きな石で階段が整備されていた。往時の栄華が感じられた。

11:00 中岳山頂(1,188m)の英彦山神宮上津宮(上宮)本殿に到着。主祭神は農業や勝運の神様として知られる天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、配神として伊耶那岐命(いざなぎのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)が祀られている。

現在の社殿は1845年(弘化2年)に肥前藩主・鍋島斉正公によって再建されたもので、1931年(昭和6年)に大修理が行われているが、屋根の一部が崩落したり土台が傾いていたりで、見るも無残に荒れ果てていた。倒壊も考えられる危機的な状態に思えたが、歴史ある神宮なのだから、国家レベルでの対策が必要ではなかろうか。

南側、南岳方面の眺め。

社殿の中に入って行く人がいたので、我々も中をのぞいてみたが、中から見ても相当傷んでいることが分かった。

おにぎりを食べてひと休み。英彦山には3つのピークがあるが、北岳はこれから向かうコース上にないので登ってくることにした。

11:25 嫁は行かないというので荷物をデポして独りで北岳へ。山頂直下の広場を過ぎたら、岩の急坂となった。

鞍部に出てからはゆるやかな上りとなったので、トレイルランナーのように駆け上がった。

11:35 英彦山北岳(1,192m)に到着。最も高い場所は、神の鎮座する「磐境(いわさか)」として禁足地の結界が張られていた。

北岳から眺めた南岳(左)と中岳(右)。

南岳と中岳の山頂部。疎林のコースだったので、中岳山頂にいる嫁からも見えているだろうと思って疾走したのだが、嫁はまったり休憩中で、こちらをまったく見ていなかったことが判明した。さもありなん。

北岳では写真だけ撮って、すぐに中岳へ取って返した。戻ると中岳山頂下の広場に人の姿が増えていた。

11:55 ひと息ついて、隣の南岳へ向かった。

鞍部に下って上り返すが、中岳と南岳は思った以上に近かった。

12:05 英彦山最高峰・南岳(1,199m)に到着。

南岳から眺めた中岳。南岳は樹林に覆われているが、中岳側に少し降りたところから写真を撮れた。

南岳山頂の朽ち果てた展望台。老朽化して危険なので、上がれないように階段に鎖が巻かれていた。

写真だけ撮って、そのまま南側へ下る。

いきなり梯子や鎖場が出てきて、修験道の山らしい道となった。

長い鎖場の急坂を下る。周囲の眺めが抜群によかった。

東方面。真ん中左の三角は苅又山。明日登る予定の由布岳は薄雲がかかって見えなかった。

南方面。真ん中あたりに上塚山があるはずだが同定できず。

南西方面。真ん中に岳滅鬼山(がくめきさん)が見える。

西方面。左の台形は障子ヶ岳。右奥は馬見山かな。

岩場の急下降が続く。

祖母山でも感じたが、ルートに変化があった方が山は楽しい。

12:45 材木石を通過。噴出したマグマが急速に冷えて固まった安山岩の柱状節理で、英彦山の鬼杉伝説によると、鬼が社を建てようと伐り出した材木の残りが岩になったと云う。

道標をたよりに鬼杉へ向かう。途中の分岐でザックをデポして進んだが、鬼杉からは引き返さずにルートに戻れる道があったので、ザック回収のためにかえって遠回りすることになった。

大きなスギを何本か通り過ぎて、まだかなぁと思い始めた頃、鬼杉のデッキが見えてきた。

13:05 鬼杉に到着。周りが木枠で囲まれており、近寄れないようになっていた。

説明板によると、奈良時代から生育しており、周囲12.4m、高さは38mある。以前は60m以上あったが、上半分が倒れてしまったらしい。国の天然記念物に指定されている。鬼杉の巨大さが写真ではまったく伝わらないのがもどかしい。

近くに祀られていた三体の石仏。

ザックの場所に戻ってから先に進んだのだが、しばらくしてボトルがなくなっていることに気が付いた。

ボトルが落ちていないか、ザックをデポした場所まで探しに戻ったが、結局見つからなかった。

登山道脇にミヤマリンドウがもう咲いていた。

スミレも咲いていたが、エイザンスミレだろうか。

下山後は宿を予約した別府温泉へ移動しなければならず、時間を考慮して玉屋神社や大南神社などはスルーしたが、後で見ると見応えがありそうだった。下調べが足りていれば寄っただろうが、この点は悔いが残った。

傾斜がゆるくなり、渡渉してさらに進む。

梵字岩の鳥居。

苔むした石垣を通過する。かなりの大きさだったので後で調べてみると、英彦山座主院跡で往時は広大な屋敷があったらしい。

石垣を過ぎると奉幣殿の境内が見えてきたが、踏み跡が怪しくなり最後は適当に進んだ。

14:25 社務所の脇から境内に出ることができた。

長い石段を下って銅鳥居へ向かう。

気持ちのよい石敷きの道をのんびり下った。ちなみに、この山の元の領主は豊前佐々木氏であり、宮本武蔵に敗れた佐々木小次郎も当地出身と云われる。さらに流派「巌流」は、英彦山山伏の武芸の流れを汲むという説もあるらしい。

桜の花はさらに散って、石畳の上は花びらの絨毯となっていた。

14:45 銅鳥居に到着。下山後は別府温泉「悠彩の宿 望海」へ。温泉と美味しい食事で疲れを癒した。