2021年1月10日 日曜日

仙元山

299 m

 5時起床、8時半出発。新型コロナ禍対策として緊急事態宣言が出されたばかりなので、情報収集などして登山の是非を検討している間に出発が遅くなってしまった。登山は不要不急の外出に当たるが、考えられるリスクはきわめて限定的だと判断。多少の迷いはあったが、出かけることにした。

 簡単なコースなので今回はストックなしの運動靴でスタート。百庚申からの下りで一部滑りやすい箇所はあったが、あとは問題なく歩けた。低山ではあるが、見晴らしの丘公園展望台からは小川町が一望できて、遠くには榛名と赤城、日光連山なども見えた。コース中、20名前後の人とすれ違ったが、3密にならない山中でもほとんどの人がマスクを着用していた。円城寺の板石塔婆を見つけるのにしばらく右往左往したが、3時間ほどでトレッキングを終了。駐車場に戻ると満車状態で人が多そうだったので、道の駅の店内には寄らず帰路に就いた。朝から登山日和で、久しぶりの山歩きは気持ちがよかった。

登山コースデータ
単純標高差 : 219 m
累積標高差 : 370 m
コース距離 : 7.7 km
標準コースタイム : 3 時間
歩行データ
総歩行時間 : 2 時間 20 分
総行動時間 : 3 時間 5 分

※地図をクリックするとルートを引いた国土地理院の地図を参照できます。

 コースタイム

道の駅おがわまちP 9:40 ⇒ 10:10 見晴らしの丘公園 10:25 ⇒ 仙元山 10:45 ⇒ 11:00 青山城跡 11:05 ⇒ 百庚申 11:25 ⇒ 11:55 円城寺 12:20 ⇒ 道の駅おがわまちP 12:45

9:30 道の駅おがわまち 到着

現地で何かネガティブなサインがあれば、登山は中止するつもりでいたが、特に変わった様子はなく、予定通り出発の準備を進めた。

駐車場の南西側には仙元山がそびえる。

「見晴らしの丘公園」の道標にしたがって駐車場の裏から仙元山の方角へ進む。

荒川水系の槻川(つきかわ)にかけられた大寺橋を渡る。

橋をわたってすぐに西光寺が見えてくる。

西光寺の鐘楼門。寺の裏手斜面はカタクリの群生地で、毎年3月下旬から4月上旬に見頃を迎えるという。

西光寺の前で右折してそのまま車道をしばらく進む。

仙元山遊歩道へ上がる道を一本見逃して、次の道で遊歩道へ。

笹原の樹林帯をゆるやかに上っていく。

しばらくすると丸太の階段となった。

10:10 見晴らしの丘公園 標高210m

車道に出るとそこが見晴らしの丘公園だった。右は全長203mのローラー滑り台(大人200円、小中学生100円、未就学児は無料)、左はトイレ。

立派な木造の見晴台があったので上ってみた。

展望台は北側の眺めがよく、眼下に小川町が一望できる。

すぐ隣、西南西方面の仙元山。

西方面には左から堂平山、笠山、大霧山と並ぶ。

北西方面、奥には榛名山がそびえ、その左手前は鐘撞堂山。左端は陣見山でその手前は金勝山。

北方面には赤城山。左から鍋割山、荒山、地蔵岳、黒檜山と並んでいる。

赤城山の右、北北東には日光連山。左は日光白根山で、真ん中は男体山。

しばし眺めを楽しんでから展望台を降りた。

閉鎖中のはずだが、ローラー滑り台に乗る子供たちの歓声が聞こえていた。

見晴らしの丘公園観光休憩所は閉まっていた。

車道を東側へ進み、仙元山へ向かう。

車道から遊歩道へ。

少し進んだ開けたところに東屋があり、マウンテン・バイクの集団が休んでいた。

東屋の前は南側の眺めがよく、物見山の向こうに東京のビル群が見えていた。

新宿あたりのビル群。左の山の上にスカイツリーも幽かに見える。

ゆるやかな樹林帯を進む。

遊歩道をしばらく進むと、パラグライダーの発進地があった。

東側に筑波山がよく見えていた。

さらに樹林帯を進む。

北側が開けた場所にしっかりした東屋があった。

10:45 仙元山 標高299m

山頂はちょっとした広場のようになっていた。

眺めは北側だけで、小川町と榛名山などが見えていた。

写真を撮って、青山城跡へ向かった。

木漏れ日がここちよい樹林帯が続く。

青山城跡の道標から右に折れると少し傾斜がきつくなった。

道標から数分で溝のような「堀切跡」が出てきた。

南東に配された三の郭(くるわ)跡を過ぎると堀切跡の向こうに本郭が見えてきた。

11:00 青山城本郭跡 標高265m

青山城跡は、青山と下里の大字境に位置し、青山側では青山城、下里側では割谷(わりや)城と呼ばれている。南西に配された二の郭を見てから来た道を戻った。

仙元山の山頂では登山者が数名休んでいた。

仙元山を過ぎるとすぐに分岐となる。百庚申を通る円城寺側へ下る。

庚申塔が無数に並ぶ百庚申。すべての石碑に庚申と刻まれている。

仙元山の百庚申は、万延元年(1860)に青山村の人々が中心となって造立したもので、小川町には大字下横田にも嘉永2年(1849)に造られた百庚申がある。庚申信仰がこの地で盛んであったことがうかがえる。

百庚申からの下りは、霜が融けたのか、落ち葉の下が濡れていて滑りやすかった。

10分ほど下ると右手に車道が見えてきた。

傾斜がゆるくなり、用水路のような堰の脇を進む。

天満宮の鳥居に出た。近ければ寄って行こうと思ったが、階段がずっと上まで続いていた。

舗装路に出た。板石塔婆を見るために円城寺へ向かう。

八高線を渡る。

11:55 円城寺

円城寺に着いたものの、肝心の板石塔婆が見当たらない。お寺の周囲にあるものと勘違いして、寺の周囲を右往左往した。

もしかして、塔婆が折れてこんなに小さくなっちゃったのかも? と一瞬思った石。

妻が携帯で調べると、境内の墓地にあると分かり、本堂西側の墓地を探してみると、奥に二連の板石塔婆があった。蓮華座の上に阿弥陀如来を意味する種子 (しゅじ=仏尊を象徴する音節の真言) が梵字で彫られている。

円城寺の開基である円阿沙弥 (えんなしゃみ 1325年没) と、道阿比丘尼 (どうあびくに 1346年没) の追善供養のために建てられたもので、向かって右の石碑は正中2年(1325)、左の石碑は延文6年 (1361) の銘が刻印されている。

板石塔婆を見てから、再び八高線を渡り、車道を歩いて道の駅おがわまちへ向かった。

往路で通り過ぎたカタクリとオオムラサキの展示館入口。ここからも仙元山遊歩道へ上がれる。

民家の庭先にいたモズ。獲物を狙っていたようだ。

大寺橋まで戻ってきた。久々のトレッキングは楽しかった。

12:45 道の駅おがわまちに到着。駐車場はほぼ満車になっていた。