節分は誕生日
いつも買うお店でケーキを買うつもりだったが定休日でがっかり。代わりに会社帰りの妻がケーキを買ってきてくれた。

ちなみに娘の家では節分を楽しく祝ったようで、「家族写真みてね」のサイトに小さな赤鬼ともっと小さな青鬼の画像がアップされていた。大はしゃぎのふたりの孫を見て、元気をもらった。

久々に妻の両親宅へ
随分ご無沙汰していた妻の両親宅へ行ってきた。思ったよりも元気な様子に安心した。顔を見て話しができてよかったし、父の事故のことも話すことができた。
義父からエンディング・ノートのようなものをすでに用意していると聞かされた。私の両親の場合は何の準備もなくて、いちいち兄が大変な思いをしているので有難いことである。
さらには「娘と結婚してくれてありがとうございます」と、感謝の言葉も伝えられた。
「忘れないうちに言っておこうと思うんだけど…」との前置きに、一瞬「ん ?」となったが、思いもよらない言葉に返す言葉が見つからなかった。私の方こそ感謝です、というのも相手が違う気がするし、感謝されるようなことではないと、否定するのも違う気がした。
ただ恐縮して、その言葉を受け止めたわけだが、そこには私たち夫婦が娘婿に対していつも思っていることと共通したものがあるように感じた。
フィフティ・フィフティの対等な関係を前提にすれば、どちらのお陰でもなく夫婦生活があると考えるべきなのに、うまくいっているのは、我が子ではなく相手のおかげという気がするのだ。
子供の至らない部分に目が行くためか、人として未成熟な頃の記憶に引きずられるためか、親というものは、目の届かない変化や成長を度外視して、我が子を過小評価しがちなのかもしれない。
我々夫婦にしても、いつも旦那さんのお陰だと話しているし、偏りがちな親の見方について考えている今この瞬間も、「そうは言っても、娘夫婦の場合はやっぱり旦那君がえらい」としか思えないのだ。
いずれにしても、伝えられた感謝の言葉を私は一生忘れないと思う。
