【坂東三十三観音】第12番 華林山 慈恩寺 (慈恩寺観音)

目次

玄奘三蔵法師ゆかりのお寺へ

妻が月曜日に休みを取ったので、3連休に東北遠征のつもりだったが、天気が怪しくて迷った末に取りやめ。トレーニング登山もモチベーションが上がらず行く気がしない。

妻はとりあえずどこかへ行きたいと言うので、県内の坂東三十三観音でまだ足を運んだことのない慈恩寺へ行ってみることにした。

境内に接した南側の車道は、狭い割には車の通りが多かったが、人気の少ない境内はすっきりとした広がりがあり、霊場らしい静かな時間が流れていた。

大きな観音堂は華麗な彫刻などの意匠が施されており、広々とした境内と共に往時の隆盛を思わせた。コロナ禍の影響で閉鎖されている内陣をのぞいてみると、二十八部衆などの仏像がところ狭しと並んでおり、それらを近くで見られないのは残念だった。

ちなみに、玄奘三蔵ゆかりの寺であることは知っていたが、玄奘三蔵法師の霊骨を納めた玄奘塔が、境内から約500mほど離れた所にあるのを知らず、後日また足を運んだ。

華林山 慈恩寺とは

平安時代の天長年間 (824-834) に、慈覚大師・円仁により開山された天台宗の古刹であり、慈恩寺という寺名は円仁が学んだ唐の長安にある大慈恩寺に由来する。

盛時は66坊もの塔頭を有し、13万5千坪 (東京ドーム9.5個分) の境内を誇る大寺院であった。江戸時代には徳川家康から寺領100石を拝領し、歴代の岩槻城主が帰依する名刹であった。

戦時下の1942年 (昭和17) に日本軍が南京で発見した玄奘三蔵法師の遺骨の一部が日本に分骨され、紆余曲折あった末に、慈恩寺に納められることになった。1953年 (昭和28年) には十三重の花崗岩の石組みによる「玄奘塔」が落成され、玄奘の霊骨は現在もそこに奉安されている。毎年5月5日には「玄奘祭」が行われる。

宗 派 天台宗
御本尊 千手観世音菩薩
所在地 埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺139
連絡先 048-794-1354
納経時間 8:00-17:00 (11月-3月 8:30-16:30)
駐車場 隣接の駐車場あり

【御詠歌】 慈恩寺へ 詣る我が身も たのもしや うかぶ夏島を 見るにつけても 🎵

2021/9/27 参拝の記録

車道に面した北側入口。こちらが本堂正面だが山門はない。
境内に入った右手にある手水舎と鐘楼。
そりが美しい入母屋造の鐘楼。大晦日には参拝者の先着108名が、除夜の鐘を撞くことができるらしい。
鐘楼の隣には、1987年 (昭和62) に完成の本坊。
「最上院」の扁額と見事な彫り物。
北側入口近くのサルスベリは綺麗に花を咲かせていた。
西側入口にある1691年 (元禄4) 建立の山門。
西側の山門をくぐった左手にある「雷神塚」と書かれた石碑。
山門から観音堂の正面に出る小道の脇には藤棚があった。
藤棚には藤の実がたくさん垂れ下がっていた。
観音堂 (本堂) 正面に出た。
入母屋造の大屋根を持つ観音堂。2016年に屋根の葺き替え修理が行われている。お堂の前には大きな香炉がある。
香炉の右には納経所。
獅子を戴く香炉。
石段を上って観音堂へ。間口10間、奥行9間の巨大な本堂は、坂東札所の中でも最大級。
現在の観音堂は、1843年 (天保14) の再建。
蟇股には七福神の彫刻。
観音堂を別角度から眺める。
1589年 (天正17) に岩槻城主・北条氏房の家臣、伊達与兵衛房実 (ふさざみ) より寄進された南蛮鉄灯籠 (市指定文化財) 。
流れるような海老虹梁。
木鼻の彫刻も見事。
細かいところまで精密な意匠が施されていた。
観音堂はコロナ禍の影響で残念ながら閉鎖中だった。
外陣のおびんつる尊者。
大黒天が祀られたお社。
ガラス格子から眺めた堂内の様子。中に入って内陣の仏像群と天井画も見たかったのだが。
たくさんの奉納額が掲げられていた。
観音堂の右手には銅造の阿弥陀如来坐像が安置されている。左奥は観音菩薩坐像。
観音堂の左側にある宝篋印塔。
宝篋印塔の近くから眺めた観音堂。
観音堂の近くに咲いていたフヨウの花。
開山堂。慈覚大師像が安置されている。
開山堂の左奥のお地蔵様。
古い石仏や石碑も多数安置されていた。
聖徳太子堂と大きな慰霊碑。
聖徳太子堂の格子をのぞくと、聖徳太子と思われる仏像が安置されていた。
境内西側から眺めた観音堂と本坊。
駐車場へつながる出口付近のイチョウが、たくさん実を落としていた。
木の下は銀杏だらけ。
駐車場へ。

2021/10/03 玄奘塔 参拝の記録

不安を覚えながら狭い道を車で進むと、鮮やかな唐門が現れた。
唐門は真新しく見えた。
玄奘三蔵法師の霊骨を納めた「玄奘塔」。
玄奘三蔵法師の銅像。穏やかなお顔をしていた。
塔の手前左右には梵字が書かれた大摩尼車 (おおまにぐるま) があった。
玄奘塔に参拝します。
十三重の花崗岩の石組みによって造られた玄奘塔。高さは約15m。
慈恩寺と似た意匠の獅子を戴く香炉。
玄奘塔を別角度から眺める。
境内の左端には大きな亀の石像がある。表示はなにもないので、気付かない人もいるかも。
亀には立派な髭があった。
境内の立派な松の木。
境内で見つけたアマガエル。
違う種類のカエルも出てきた。
とても気持ちのよい場所だった。

※ 玄奘三蔵法師の霊骨が慈恩寺に奉安されることになった経緯について。

 “大唐聖域記”の著者で、“西遊記”で名高い“玄奘三蔵法師”の遺骨は、宋の時代に長安(現西安)から南京にもたらされた後、太平天国の乱で行方不明になりましたが、第2次大戦中に南京を占領していた日本軍が、偶然にも土木作業中に法師の頭骨を納めた石箱を発見(昭和17年)しました。翌年、頭骨は当時の南京政府に還付され、昭和19年に南京玄武山に玄奘塔を建立し奉安されるとともに、日本へも分骨されたのです。
 日本へ渡った頭骨は、当初芝増上寺に安置されましたが、折しもその頃の東京は空襲の被害が広がり、一時埼玉県蕨市の三学院に移され、さらに三蔵法師の建立した大慈恩寺にちなんで命名された慈恩寺に疎開することになりました。終戦後、日本の仏教界が正式な奉安の地を検討した際に、三蔵法師と縁の深い慈恩寺が奉安に最適の地と正式に決定され、昭和25年に13重の花崗岩の石組み(高さ約15m)によって玄奘塔が築かれました。
 その後、この地から台湾の玄奘寺や奈良の薬師寺へも分骨されています。

さいたま観光国際協会のHPより

さらに詳しいことが慈恩寺のHPに書かれているので、興味のある方をそちらをどうぞ。

※ これから観音巡礼を考えておられる方は、坂東三十三観音 公式サイトなどで最新情報をご確認ください。公式サイトには観音巡礼についての基本的な情報が網羅してあるので、とても役に立つと思いますよ !

[ アクセス情報 ] 慈恩寺の南側の車道沿いにお寺の駐車場がある。玄奘塔は慈恩寺から徒歩でも行ける距離だが、玄奘塔の山門前にも数台分の駐車スペースがある。尚、玄奘塔周辺の道は狭いので、運転にはくれぐれも気を付けましょう。
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