本書「山のクジラを獲りたくて」について
本書には、単独忍び猟を自らのスタイルとするに至った著者の2年間の狩猟記録がまとめられています。著者のブログ で公開していたエッセイをベースにして、新たに狩猟の知識などを加筆したものです。
ちなみに、山のクジラとはイノシシのことですが、イノシシだけではなく、シカ狩りについてや獲物の処理の仕方、調理方法などについても書かれています。
※ 画像はAmazonにリンクしています。著者略歴など他の関連情報や読者レビューの確認、本の購入はそちらでどうぞ。
感想あれこれ
とても興味深くて一気に読めました。何故ハンターになったのか、どうやってハンターになったのか、2年間でどのような狩猟を行ってきたのか、とても分かりやすく書いてあります。ハンターとしての考え方や心得、一般的なルールなどもよく分かりました。山歩きをしている際に、遠くからでも銃声が聞こえると不安を覚えるものですが、基本的な狩猟のルールを守っていれば、事故は起こらないということも理解できました。
狩猟の現場で何が起きているのか。五感に何を感じて、得られた情報からどのようなことを考え行動したのか、とても具体的に書かれています。この分かりやすさは、優れたハンターとなるために作者自身が自分の行動を逐一分析して、自分の頭で考えながら狩猟をしてきたからだろうと思います。失敗も含めて、正直にてらうことなく書かれているので、読み手は狩猟の何たるかが少し想像できるようになります。ふつうの人間がどうやって優れたハンターになっていくのかがごく自然にイメージできるのです。
著者である武重氏は注意深く五感を研ぎ澄ませて山に深く入り込み、山と対話します。山の見え方が変わったと書いていますが、その感覚を想像するのは楽しいことでした。そういう山歩きがしてみたいと感じました。
イノシシやシカ以外を対象とした狩猟の仕方や、獲った獲物の処理の仕方、調理方法なども興味深いものでした。昔は多くの人たちが当たり前にしていたことで、狩猟にまつわる行為は生活文化そのものだったと思います。
時代によって人間の在り方は変化して、「人間らしく」ということの意味も変化していきますから、人間らしく生きるための文化が失われつつあると感じるのは、ただのノスタルジーなのかもしれません。しかし、それでも文化を残していくことには意味があります。
合理的精神は伝統や文化といったものをないがしろにしがちで、それらを維持するコストを問題にしますが、人間が物事を考える基盤として伝統や文化は欠かせないものです。文化という目に見えない価値が失われないようにするためにはどうすればいいのか、そうしたことも問題意識として残りました。
狩猟について感じたこと
獲物を獲ることへの渇望ともいえる欲求を著者は正直に書いています。それが一般社会の現代人とかけ離れたものだとは感じませんでした。きわめて近い世界がすぐ隣にあるのだと思います。何かを探して見つけて獲る、それら一連の行為には共通した欲求と興奮があり、その延長線上に狩猟のもたらすものがある。生きるために獲って食うという本能がもたらす根源的で原始的な欲求と興奮は、人類が生き延びる過程で獲得してきた脳の重要な機能だろうと考えます。大物を獲るという行為がもたらす興奮の度合いは桁外れであって、仕留めた瞬間ドーパミンの類が半端なく出るのではないでしょうか。獲らねば食えないという時代ではありませんが、一度狩猟の世界を知ってしまったら、もう抜け出せないような気もします。
母イノシシを仕留めたときの話が頭を離れません。解体のために谷に落としてしまった母イノシシの死体を追って、隠れていたウリボウたちが走る。死体の周りから離れようとしないウリボウたち。そうした話は痛ましくて心に刺さるものがあり、著者も心を動かされて向き合わなくてはならなかったからこそ、きちんと書いたのだと思います。書かなくても嘘をつくことにはなりませんが、こうした側面も当然書く必要があると思います。
食べるために殺すこと。それはどういうことなのか。狩猟をする者は、そうしたことに向き合わざるを得なくなる。実際に手を下すからこそ感じられるものがあり、それはパッキングされた精肉だけを食べている一般人には普段考えが及ばない部分でもあります。狩猟の現場で見たこと、感じたことを言葉にしてくれることで、読む側の視野も広がり、考えさせられることになります。
狩猟の持つ非情な側面を知り、何を思うか。殺して食うという一連の行為における、「殺す」という行為を見ないで済む、見ないで済ませてしまう、自分自身を含む現代人の在り方をどう捉えるべきなのか。ベジタリアンにはなれないし、そもそもベジタリアンだって植物を殺しているのだし、殺して食うしか生きられない生き物であることの自覚にどうしたって行き着くわけで、生命の連鎖というこの世界の根源的な在り方に自然と思いが至ります。しかしながら、日々の暮らしの中でそのことに自覚的でいるのはとても難しいことです。
殺して食うしか生きられないのなら、いかに殺して、いかに食うか。食べること、生きることへの畏怖と感謝の念を持ちながら、余さず美味しく頂くことの大切さ。食品ロスなんてとんでもない話だと思えてきます。どうしたってシンプルな (ともすればチープな) 思考に行き着くのですが、それが真実まっとうな感覚だとも思うのです。
作者について思うこと
自分が何をしているか、きちんと他人がわかるように言葉にすることは案外難しいことです。山登りが趣味なので、登山に関連した本をよく読みますが、優れた登山家でもすぐれた文章家であることはまれで、知りたい状況が切迫感をもって伝わってこないことも多々あり、読者としてのもどかしさを覚えることもあります。特別な世界にいて、人のできない経験をしている人が、それをうまく伝えられるとは限らないのです。
自分の言葉を持った狩猟家として、武重氏は貴重な存在だと感じました。いまは北海道へ移住して、狩猟も続けているようなので、北の大地における狩猟経験をまた本にしてもらえたらと思います。
面白い本に出会えたという喜びを感じました。狩猟に興味がわいてきたので、狩猟関連の本を何冊か読んでみようと思います。