2021/4/10 小江戸川越② 蔵造りの町並み

小江戸川越、第2弾。川越氷川神社を参拝した後、川越街道沿いのコインパーキングに車を停めて、まだ人通りの少ない蔵造りの町並みを歩いてきた。

目次

「蔵造りの町並み」とは

蔵造りとは、鬼瓦の屋根に黒しっくいの壁、分厚い観音開きの扉などを特徴とした耐火建築で、もともとは江戸の町屋形式として発達したものである。

明治26年 (1893) の川越大火の後、焼け残った建物が伝統的な蔵造りの建物であったため、川越商人たちは競って蔵造り建築による店舗を建てた。彼らは伝統的な蔵造り建築を選択しつつ、レンガや大谷石、御影石などの新しい建築資材も取り入れて、川越的な蔵造りによる町並みが形成された。

最盛期には蔵造り建物が100軒以上もあったといい、今も残る30数棟の蔵造りの建物が、現在の「蔵造りの町並み」を形成している。

関東大震災とその後の戦災によって東京の蔵造り建築が姿を消したこともあり、江戸の景観を受け継ぐ重要な歴史的遺産として、「時の鐘」をはじめとする一番街周辺は、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

蔵造りの町並み ピックアップ写真

川越街道から一番街へ向かう途中にあった原田家住宅。
これぞ蔵造りと感じる重厚な開閉門扉。
仲町の交差点を右折して中央通りに入ると最初に目につく亀屋本店 (山崎屋住宅)。江戸時代創業の和菓子店・亀屋の観音門扉は、閉めたときに隣の扉とぴったり噛み合うように設計されている。さすが、現在の貨幣価値で総工費2億円の建物である。
中央通り (県道39号) の一番街を北へ歩く。
ひときわ目立つ洋風の建物は、埼玉りそな銀行川越支店。大正7年 (1918) に旧国立八十五銀行本店として建てられ、国の登録有形文化財に指定されている。手前右は甘味処くらづくり本舗。

ちなみに旧国立八十五銀行は、その名の通り明治11年 (1878) に八十五番目にできた銀行で、埼玉県で初めて設立された銀行である。その八十五銀行が埼玉銀行となり、合併して協和埼玉銀行になって、さらに現在の埼玉りそな銀行となっている。

まだ人や車の通りがすくない一番街・蔵造りの町並み。
芋菓子を川越名物として定着させた亀屋栄泉。
陶舗やまわ (原家住宅) から先の4軒は、明治26年の川越大火直後に建てられた蔵造りの建物で川越市指定有形文化財。
時の鐘入口交差点で右折して鐘つき通りへ。
江戸時代に建てられた時計塔にして川越のシンボル、時の鐘。
鐘が鳴るのは 6:00、12:00、15:00、18:00 の1日4回。
時の鐘の下をくぐった先にある薬師神社。
薬師神社の右奥に祀られた稲荷神社。
薬師神社側から眺めた時の鐘。
鐘つき通りから一番街・蔵造りの町並み (県道39号) へ戻る。
娘夫婦と落ち合う時間が近づいてきたので、時の鐘で引き返して合流場所へ向かった
川越の代表的な繁華街であるクレアモール商店街と蔵造りの町並みの中間に位置する大正浪漫夢通り。
青空にはためく鯉のぼり。娘夫婦はここで写真を撮りたいようだが、よい写真が撮れそうだ。
クレアモール商店街で娘夫婦と落ち合い、予定どおりにそーちゃんを預かった。
相変わらず、かわいいそーちゃん。

着物の予約時間が近かったので、あわただしくそーちゃんを受けったが、そーちゃんは人見知りすることもなく、良い子でいてくれた。

ちなみに、次の投稿・小江戸川越③には、娘夫婦の顔が写っているのでアクセス制限を一応かける予定です。あしからずご容赦を。

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