小江戸川越、第2弾。川越氷川神社を参拝した後、川越街道沿いのコインパーキングに車を停めて、まだ人通りの少ない蔵造りの町並みを歩いてきた。
目次
「蔵造りの町並み」とは
蔵造りとは、鬼瓦の屋根に黒しっくいの壁、分厚い観音開きの扉などを特徴とした耐火建築で、もともとは江戸の町屋形式として発達したものである。
明治26年 (1893) の川越大火の後、焼け残った建物が伝統的な蔵造りの建物であったため、川越商人たちは競って蔵造り建築による店舗を建てた。彼らは伝統的な蔵造り建築を選択しつつ、レンガや大谷石、御影石などの新しい建築資材も取り入れて、川越的な蔵造りによる町並みが形成された。
最盛期には蔵造り建物が100軒以上もあったといい、今も残る30数棟の蔵造りの建物が、現在の「蔵造りの町並み」を形成している。
関東大震災とその後の戦災によって東京の蔵造り建築が姿を消したこともあり、江戸の景観を受け継ぐ重要な歴史的遺産として、「時の鐘」をはじめとする一番街周辺は、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
蔵造りの町並み ピックアップ写真
ちなみに旧国立八十五銀行は、その名の通り明治11年 (1878) に八十五番目にできた銀行で、埼玉県で初めて設立された銀行である。その八十五銀行が埼玉銀行となり、合併して協和埼玉銀行になって、さらに現在の埼玉りそな銀行となっている。
着物の予約時間が近かったので、あわただしくそーちゃんを受けったが、そーちゃんは人見知りすることもなく、良い子でいてくれた。
ちなみに、次の投稿・小江戸川越③には、娘夫婦の顔が写っているのでアクセス制限を一応かける予定です。あしからずご容赦を。