2024/8/18 三峯神社に参拝してきた

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御札を受けに三峯神社へ

前日までは西沢渓谷へ行くつもりだったが、天気予報が不安定なので御札を受けに三峯神社へ参拝に出かけることにした。

孫たちのために捕まえたクワガタも三峯神社へ行く途中の採集ポイントでリリースするつもりだったが、現地へ向かう途中で雨が降り出したので、リリースせずにそのまま三峯神社へ移動した。

随分昔に霧藻ヶ峰と妙法ヶ岳に登っているし、神社側から雲取山にも上っているが、三峯神社に参拝するのはこれが初めてだった。

歴史に彩られた関東有数のパワースポットだけあって朝から参拝客は多かったが、境内が広いのでそれほど気にならなかった。

三峯神社とは

当社の縁起によると、日本武尊 (やまとたけるのみこと) が景行天皇の命により東国平定に訪れた際、当地の美しさを目にして伊弉諾尊 (いざなぎのみこと) と伊弉册尊 (いざなみのみこと) をお祀りしたのが始まりとされる。

日本武尊が雁坂峠に向かう途中で道に迷ったとき、オオカミが現れて道案内をしたことから、当社ではオオカミが神のお使いとして祀られている。

その後、景行天皇が東国を巡幸した際、妙法ヶ岳、白岩山、雲取山と三山が連なる様子を「三峯山」と総称して当社を「三峯宮」と名付けられた。

文武天皇 (在位697~707) の時代には、修験の祖である役小角 (えんのおづぬ) が伊豆から三峯山に往来して修行したと伝わり、この頃から当山に修験道が広がった。

淳和天皇 (在位823~833) の時代には、弘法大師が勅命により十一面観音の像を刻み、三峯宮の脇に本堂を建てたことから仏教色が強くなり、神仏習合のお社となった。

鎌倉期には、畠山重忠など東国武士の信仰をうけて隆盛を極めるが、新田義興・義宗等が足利氏との戦いに敗れて当山に身を潜めたことから、足利氏に社領を奪われて衰退し、修験者・月観道満が当山の荒廃を嘆いて復興を果たすまで、荒廃の時代が140年も続いた。

天台修験の関東総本山として繁栄した当山も、一時期は山主に恵まれずに再び荒廃するが、1720年 (享保5) 日光法印によって再び復興された。

その後、「お犬様」と呼ばれる御眷属信仰の広がりとともに三峯山の名は全国に知られるこようになり、今日の繁栄の基礎ができた。

明治の神仏分離によって寺院を廃して、三峯神社と号して現在に至っている。

主祭神伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 伊弉册尊(いざなみのみこと)
鎮座地〒369-1902 埼玉県 秩父市 三峰 298-1
連絡先TEL 0494-55-0241 FAX 0494-55-0328
駐車場市営駐車場あり 280台 普通車520円/1日
備考御祈祷受付時間 午前9時~午後4時 無休 ※予約は必要なし

2024/8/18 参拝の記録

9:50 三峯神社の市営駐車場に到着。普通車の駐車料金は520円だった。
ビジターセンター。三峯山の歴史や秩父多摩甲斐国立公園の情報が得られて、クマやシカなどの剥製が展示されている。
道標に従って三峯神社方面へ。雨は上がって、いつの間にか青空が広がっていた。
お土産とお食事処「三峰お犬茶屋 山麓亭」の前を通過。やまめの塩焼きやいもでんがくが食べられる。
その先には「大島屋」もある。秩父名物のわらじかつ丼や山菜そばなどが食べられる。
境内の入口となる三ツ鳥居が見えてきた。
去年修復工事が終わったばかりの三ツ鳥居。この鳥居は明神型の鳥居を横一列に三つ組み合わせた独特の形式で、「三輪鳥居」とも呼ばれる。
鳥居の前には狛犬ではなく、オオカミが鎮座している。
三峯神社では、日本武尊の道案内をつとめたと云われる狼が神のお使いとされ、御眷属 (ごけんぞく) 、大口真神 (おおぐちのまがみ) などと呼ばれて崇拝されている。
鳥居の左奥には秩父宮記念 三峰山博物館。の神社の宝物・御札などに加えて、貴重なニホンオオカミの毛皮が展示されている。
緩やかに参道を上っていく。
参道には立派な奉納碑がずらりと並んでいた。
参道の左手に随身門が見えてきた。
随身門は1691年 (元禄4) の建立で、1792年 (寛政4) に再建されている。手がけたのは埼玉県熊谷の国宝「歓喜院聖天堂」の造営に関わった林兵庫正信。1965年 (昭和40) に改修工事が行われ、2004年 (平成16) には塗り替え工事が行われている。
もともとは仁王門だったが、明治時代の神仏分離令により仁王像は撤去されて随身門となった。扁額「三峯山」は、伊勢長島藩主・増山雪齋 (1754~1819) の筆で、神仏習合時代の「山号」がそのまま残されている。ちなみに撤去された仁王像は、埼玉県鴻巣市にある勝願寺へ移されたとのこと。
ここもオオカミが狛犬となっている。
大きな口のオオカミ。
現在は随身と呼ばれる官人姿の守護神が両脇に配置されている。
随身門をくぐって、立派な石灯篭と大杉が並ぶ参道を進む。
「富士宮 三峯講」と彫られた石灯篭。
参道脇に並ぶ大きな杉の樹木。
ここにもオオカミがいた。
本当のニホンオオカミもそうだが、キツネっぽい。
参道をさらに進む。
随身門から参道を進むと、青銅鳥居ごしに拝殿が見えた。
階段の途中に鎮座するオオカミ。
こちらのオオカミは、お犬様という感じ。
青銅鳥居は1845年の建立。1845年 (弘化) の建立で、江戸深川の堅川講中から奉納された。
青銅鳥居に掲げられた「三峯神社」の扁額。大きくて立体的。
青銅鳥居のすぐ脇にある手水舎 (ちょうずや) で手と口を清める。
手水舎は1853年 (嘉永6) の建立。屋根は切妻造両軒唐破風。ここまで派手な手水舎は珍しい。
四面に極彩色の彫刻があしらわれており、30匹の龍が彫られていると云う。
1857年 (安政4) に建立された高さ6mの「八棟灯籠」。1973年 (昭和48) に修復工事が行われ、2004年 (平成16) には塗り替え工事が行われている。木造朱塗りの飾り灯台で、あまりに立派なので灯籠だとは思わなかった。
拝殿前には参拝の列ができていた。
拝殿のすぐ前に鎮座するオオカミ。
こちらのオオカミは阿吽になっておらず、左右ともに口元は閉じているようだ。
拝殿に向かって左の御神木。御神木の大杉「重忠杉」は、鎌倉初期の武将・畠山重忠公が寄進したと伝えられ、推定樹齢は800年ほど。
拝殿に向かって右の御神木。
参拝を待つ間に、位置を変えて拝殿の写真を撮った。
拝殿は1800年の建立で、1962年 (昭和37) に改修工事が行われ、2004年 (平成16) には塗り替え工事が行われている。
極彩色の拝殿は日光東照宮を思わせる。
見事な彫り物だが、配色があまりに多くて目を凝らさないと細部が見えてこないので、全体としての派手な印象しか残らない気がする。
横から眺めた拝殿。
拝殿の奥には1661年 (寛文元年) 建立の本殿が鎮座する。一間社春日造で屋根は銅板葺。こちらも2004年 (平成16) に塗り替え工事が行われており、雅な極彩色となっている。
拝殿の左手には社務所がある。
我が家の神棚にお祀りする御札を受けた。
売店のある「斎館」。その奥には、旧本堂の茶亭「小教院」、宿泊施設「興雲閣」などがある。斎館から青銅鳥居の前を通って、拝殿の右手 (南東側) へ移動した。
拝殿下にある祓戸 (はらいと)。祓いや禊ぎ (みそぎ) を行う場所で、祓戸大神 (はらいとのおおかみ) が祀られている。
神楽殿。祓戸と同じで拝殿より一段下の境内にあり、白木作りの質素な感じで他の社殿とは印象が異なる。
拝殿横から見下ろした神楽殿。古いものかと思ったが、1908年 (明治41) に一の鳥居及び保存金とともに江戸深川の竪川講中から奉納されたものとのこと。
神楽殿の近くにある休憩舎。
再び拝殿の右手に上がった。
拝殿の右手にある祖霊社。神社に縁のある祖霊をお祀りしている。
祖霊社の右隣には国常立尊 (くにのとこたちのみこと) 祀る国常立神社 (くにとこたちじんじゃ) が鎮座している。1646年 (正保3) と1761年 (宝暦11) に再建されている。かつては本地堂または護摩堂と呼ばれ、十一面観音立像と不動像が安置されていた。
1853年 (嘉永6) 再建の日本武神社 (やまとたけるじんじゃ) 。かつての役行者堂で、向拝を持つ妻入社殿の典型的な構造を持つ。
伊勢神宮。神明造で摂末社の中でも別格の扱い。
伊勢神宮の隣には、同じデザインの摂末社がずらりと鎮座している。
「摂社」は主祭神と関係の深い神様を祀る神社で、「末社」は主祭神とはあまり関係のない、客分の神様を祀っている。
石灯籠が置かれた少し大きめのお社は東照宮。
東照宮の隣には、春日神社、八幡宮、秩父神社と並んでいた。
秩父神社の隣は、大山祇神社。
額殿。書道作品の展示が行われていた。
社殿をひと通り見終わって、移動を開始。
帰る前に、日本武尊 (やまとたけるのみこと) 銅像に立ち寄った。
銅像の本体は高さ5.2mで、地上15mある。
日本武尊銅像の近くには、極真空手の創始者・大山倍達氏の顕影碑があった。
三峯神社奥宮遥拝殿にも寄った。
奥宮遙拜殿からは、奥宮が鎮座する妙法ケ岳の山頂を拝むことができる。
奥宮遙拜殿からの眺め。
奥宮遙拜殿の石段を下りる。参道を挟んで正面には随身門が見える。
参拝を終えて駐車場方面へ向かう。
広葉樹林帯でクワガタたちをリリースしようと思い、雲取山方面へ進んだ。
奥宮のある妙法ヶ岳へ向かう登山道入り口には鳥居がある。
コナラなどの広葉樹林帯でコクワガタなどをリリース。クワガタたちは、あっという間に枯れ葉の下へ隠れてしまった。
駐車場方面へ戻る。
移築して復元された神領民家。
帰る前に茶屋へ戻って、秩父産の蜂蜜を購入した。
山の上には積乱雲に発達しそうな積雲が広がっていた。
満車状態の駐車場。11時過ぎに帰路に就いた。入口には空きを待つ車が並んでいた。

神棚に御札をお祀りした

帰宅後、三峯神社の御札を開封。
神棚に御札をお祀りした。
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