御札を受けに三峯神社へ
前日までは西沢渓谷へ行くつもりだったが、天気予報が不安定なので御札を受けに三峯神社へ参拝に出かけることにした。
孫たちのために捕まえたクワガタも三峯神社へ行く途中の採集ポイントでリリースするつもりだったが、現地へ向かう途中で雨が降り出したので、リリースせずにそのまま三峯神社へ移動した。
随分昔に霧藻ヶ峰と妙法ヶ岳に登っているし、神社側から雲取山にも上っているが、三峯神社に参拝するのはこれが初めてだった。
歴史に彩られた関東有数のパワースポットだけあって朝から参拝客は多かったが、境内が広いのでそれほど気にならなかった。
三峯神社とは
当社の縁起によると、日本武尊 (やまとたけるのみこと) が景行天皇の命により東国平定に訪れた際、当地の美しさを目にして伊弉諾尊 (いざなぎのみこと) と伊弉册尊 (いざなみのみこと) をお祀りしたのが始まりとされる。
日本武尊が雁坂峠に向かう途中で道に迷ったとき、オオカミが現れて道案内をしたことから、当社ではオオカミが神のお使いとして祀られている。
その後、景行天皇が東国を巡幸した際、妙法ヶ岳、白岩山、雲取山と三山が連なる様子を「三峯山」と総称して当社を「三峯宮」と名付けられた。
文武天皇 (在位697~707) の時代には、修験の祖である役小角 (えんのおづぬ) が伊豆から三峯山に往来して修行したと伝わり、この頃から当山に修験道が広がった。
淳和天皇 (在位823~833) の時代には、弘法大師が勅命により十一面観音の像を刻み、三峯宮の脇に本堂を建てたことから仏教色が強くなり、神仏習合のお社となった。
鎌倉期には、畠山重忠など東国武士の信仰をうけて隆盛を極めるが、新田義興・義宗等が足利氏との戦いに敗れて当山に身を潜めたことから、足利氏に社領を奪われて衰退し、修験者・月観道満が当山の荒廃を嘆いて復興を果たすまで、荒廃の時代が140年も続いた。
天台修験の関東総本山として繁栄した当山も、一時期は山主に恵まれずに再び荒廃するが、1720年 (享保5) 日光法印によって再び復興された。
その後、「お犬様」と呼ばれる御眷属信仰の広がりとともに三峯山の名は全国に知られるこようになり、今日の繁栄の基礎ができた。
明治の神仏分離によって寺院を廃して、三峯神社と号して現在に至っている。
主祭神 | 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 伊弉册尊(いざなみのみこと) |
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鎮座地 | 〒369-1902 埼玉県 秩父市 三峰 298-1 |
連絡先 | TEL 0494-55-0241 FAX 0494-55-0328 |
駐車場 | 市営駐車場あり 280台 普通車520円/1日 |
備考 | 御祈祷受付時間 午前9時~午後4時 無休 ※予約は必要なし |