2021年3月14日 日曜日

大高取山

376 m

 5時10分起床、5時50分出発。越生町に7時到着。五大尊つつじ公園から世界無名戦士の墓経由で、幕岩展望台まで登り、桂木観音まで往復してから大高取山へ向かった。登山者は少なかったが、練習コースとしてよく使われているのか、トレイルランナーが多かった。大高取山から梅園神社方面へ下り、今回の一番の目的であった越生梅林へ立ち寄った。新型コロナ禍の影響で出店などは少なかったが、満開の梅林は見事だった。

 今回も昼前に駐車場に戻れたので、渋滞もなく一日を長く使うことができたが、強風でスギとヒノキの花粉が大量に飛散していたようで、途中から鼻炎が酷くなり、帰宅する頃には鼻やのどの粘膜が貼れて痛くなってしまった。

登山コースデータ
単純標高差 : 305 m
累積標高差 : 590 m
コース距離 : 10.0 km
標準コースタイム : 3 時間 40 分
歩行データ
総歩行時間 : 3 時間 15 分
総行動時間 : 4 時間 40 分

※地図をクリックするとルートを引いた国土地理院の地図を参照できます。

 コースタイム

五大尊つつじ公園P 7:10 ⇒ 7:30 世界無名戦士の墓 7:40 ⇒ 西山高取 7:55 ⇒ 8:30 幕岩展望台 8:35 ⇒ 9:00 桂木観音 9:10 ⇒ 大高取山 9:30 ⇒ 10:10 梅園神社 10:15 ⇒ 10:20 越生梅林 11:15 ⇒ 五大尊つつじ公園P 11:50

7:00 五大尊つつじ公園 駐車場

未舗装の駐車場だが、いちおうトラロープで区画はされていた。ちなみに、来るとき通りかかった越生町役場の駐車場から、人がぞろぞろ出てきていた。(朝のラジオ体操?)

7:10 身支度を整えて適当に山側へ向かう。ここで用意していたコース地図を自宅に忘れたことに気づいたが、だいたい頭に入っていたのでそのまま出発。

お地蔵様がお出迎え。すぐ後ろは、越生神社祭典で使われる黒岩町の山車を収納する小屋だった。

園内には鈴木金兵衛が1845年に発願した四国八十八カ所、西国・坂東・秩父百観音の写し霊場である、札所巡拝碑 (じゅんばいひ) があった。秩父の石碑には御詠歌も添えられていた。

写し碑の建立は104基で途絶えていたが、2015年 (平成27) に越生町が不足する84基を造り、計188基の写し霊場はついに実現した。

道標に従って、世界無名戦士之墓へ向かう。

樹林帯に入る。朝から風が強かった。

大きな砂防堰堤の横を緩やかに上っていく。

樹林帯を抜けると世界無名戦士之墓は近い。

7:30 世界無名戦士之墓

大きな階段に出ると、下に駐車場が見えた。

広い階段を上る。

世界無名戦士之墓とは、大観山の頂上にある特定の宗教宗派に属さない慰霊施設で、戦争の犠牲となった身元の分からない遺骨や受取人のいない遺骨を、国籍に関係なく一切無名平等にお祀りしている。世界平和祈願の殿堂として1955年 (昭和30) に完成。

霊廟の上は展望台のようになっていたので上がってみた。

関東平野が一望できる。

霊廟の裏にはオトメツバキが咲いていた。

霊場の左脇から再び登山道に入った。慰霊施設の裏まで舗装路がきていた。

ゆるやかに上っていく。

スギとヒノキの植林帯を上る。途中から鼻水が止まらなくなったが、この日は風が強かったこともあって、大量の花粉が飛んでいたようだ。

7:55 西山高取

開けた場所に出た。標識などはなかったが、西山高取とみた。

西山高取からも関東平野がよく見えた。

東京スカイツリーと高層ビル群がよく見えていた。

西山高取の先で越生神社からの道と合流。

コース両脇にフユイチゴの葉が群生していた。

尾根は風が強くて、スギとヒノキの高木がゆらゆらと揺れていた。あまりに揺れるので、何度か立ち止まって動画を撮影した。

「白石様」と呼ばれる石灰岩の岩塊。

分岐で幕岩展望台方面へ。

しばらく下る。

フユイチゴの実。

8:30 幕岩展望台

展望台に到着。ここからも関東平野がよく見えた。ヤマガラやシジュウカラの群れが賑やかに樹々の新芽を食べていた。

投票の高層ビル群。

東方面には筑波山が見えた。左の山影は西山高取。

幕岩展望台から桂木観音へ向かう。道標のない分岐がいくつかあったので方角を確認して進む。

桂木観音へ向かう尾根道と合流。地図がなくて多少不安だったので、ホッとした。

登山者はほとんどいなかったが、トレイルランナーは多くて、20人くらい見かけた気がする。

「桂木山」の山頂標識を確認。

桂木山から下っていく。

9:00 桂木観音

桂木観音のお堂に到着。

階下に小さな駐車場が見えた。

仁王門の前のある梵鐘。誰でも鳴らしてよいようだが、「鐘は静かに撞いて、余韻をお楽しみください」と書いてあった。

仁王門。

阿形。金網がめぐらされているが、部分的に穴が開いており、写真が撮れた。

玉眼入りの顔。

吽形。とてもよい仏像と感じた。

こちらも玉眼入りで、迫力があった。

桂木寺(けいきじ)の境外観音堂、通称「桂木観音」。奈良時代の高僧・行基(668~749)による創建と云われる。

越生の南、毛呂山町の北西に位置する桂木山は、古くからの霊場として信仰を集めており、麓の桂木寺は、越生・龍穏寺の開山である無極禅師が在した寺と云われる。

「桂木寺略縁起」によると、行基が当地を訪れた際、情景が大和(奈良)の葛城山に似ていることからこのあたりを「桂木」と命名し、行基により作られた堂宇と仏像が評判となって、観音堂を含めた七堂伽藍が建立されたと云われる。

境内の地蔵尊堂。

境内にあったブランコ。

何故か鉄棒まであった。

境内に咲いていたニホンスイセン。

隣にはラッパスイレンも咲いていた。

境内裏のヤブツバキ。

9:10 ひと通り見て回り、桂木観音を後にした。

来た道を引き返す。

広場のような、幕岩展望台、西山高取、大高取山の分岐まで戻ってきた。

9:30 大高取山

分岐から山頂はひと上り。北東側の樹林が刈られて一部分だけ展望がきいた。

東側に見えた筑波山。

ひと息ついて、北側の越生梅林方面へ下山開始。

今回のコースはスギやヒノキの植林帯ばかりだったが、林内の下生えは常緑樹がほとんどで、少しずつ樹々の主役が交代しつつあるようにも見えた。

アラカシかな。

どんどん下って、10時過ぎには民家に出た。

道標にしたがって舗装路を進む。

すぐに県道61号に出た。

10:10 梅園神社

県道に出てから梅園神社はすぐだった。県道沿いの鳥居から境内へ。

鳥居をくぐるともう一つ鳥居がある。

本殿の前には2本の大スギ。南北朝時代に九州の太宰府天満宮から菅原道真公のご分霊を勧請したものと云われており、菅原道真公にちなんで梅を植えたのが越生梅林の起源とされている。

元は小杉天神社と称していたが、1907年 (明治40)、堂山の近戸 (ちかど) 権現、上谷の三島社を合祀して梅園神社と改称した。梅園は、付近の村名だったらしい。

本殿右の納札堂と稲荷社。

本殿前の大スギ。少し傾いていた。

梅園神社の由緒と梅園神社の獅子舞について書かれた石板。

梅園神社を見てから、いよいよ越生梅林へ。越辺川(おっぺがわ)にかかる梅園橋を渡る。

梅園橋から眺めた越辺川。

10:20 越生梅林

越生梅林入口の庚申様と梅林の由緒を書いた石板。

越生の梅林は満開を迎えていた。

園内はそこそこの人出。コロナ禍で出店も少なく、ゆっくり見て回ることができた。

ピンクの梅。越生梅林は、水戸偕楽園、熱海梅林と共に、関東三大梅林のひとつに数えられる。

ミニSLのレールが園内を走っている。

枝垂れ白梅。

枝垂れ紅梅。

自撮りに挑戦。

園内は約2ヘクタールの広さがあり、かなり広い。どんどん奥へ行ってみた。

青空に映える白梅。

越辺川で遊ぶ子供たちもいた。石でも拾って帰ろうと思ったが、よい石は見つからなかった。

園内の奥まで行くと、越辺川の向こうに大高取山が見えた。

ベンチのあるところまで戻って昼食にした。

花壇に咲いたフクジュソウ。

芦ヶ久保でも見かけたサンシュユが綺麗な花を咲かせていた。

11:15 越生梅林を後にした。天気にも恵まれて、越生の梅林を満喫した。

梅林から五大尊つつじ公園までは、携帯ナビでルートを確認しながら歩いた。

車の通りが多いので、歩道のないところはなるべく端に寄って歩いた。

何故か郵便ポストがたくさん並んでいた。

キク科のヒメキンセンカ。道端の野草を探しながら歩いた。

カタバミ科のイモカタバミ。

ヒガンバナ科(ネギ亜科)のハナニラ。

越辺川沿いの県道61号を進む。

右折して五大尊つつじ公園へ。

11:50 駐車場に到着。スギとヒノキの花粉にやられて、帰宅する頃には鼻と喉の粘膜が痛かった。