2025/1/18 【登山】天覧山~多峯主山~龍崖山と周遊登山を楽しんだ

目次

About this Hike 今回の登山について

早朝は寒くて道路凍結の心配もあるので、今回も遅い出発でもよい近場の山を選択した。

多峯主山は埼玉県の登山ガイド本で何度か目にしていて、登ったことがないのに何となく登ったことがあるような気になっていた。

入間川の北側に位置する天覧山と多峯主山に登ってから、吾妻峡のドレミファ橋を渡って入間川の南側に出て、八耳堂経由で龍崖山に登って、龍崖山公園からあさひ展望公園、大河原から飯能河原と歩いて駐車場に戻った。

低山巡りなのに展望のよいスポットが多く、お寺や石仏などもあって思いのほか楽しめた。御嶽八幡神社からの下りで歩いた石段は、趣があって何度も歩きたくなるような道だった。

次回は柏木山まで足を延ばして、丸一日低山歩きを楽しむのもよいかもしれない。

Hiking Report 登山の記録

中央公園第2駐車場 / 標高 115m 9:10

広々とした駐車場だが、9時頃には半分以上埋まっていた。
駐車場を出発。朝からトレランやハイカーの方をけっこう見かけた。

武陽山 能仁寺 (のうにんじ)

まずは能仁寺に寄ることにした。能仁寺は曹洞宗の寺院で、室町中期の文亀元年 (1501年)、武蔵国高麗郡加治 (現在の埼玉県飯能市) の豪族・中山家勝が、曹洞宗通幻派の名僧・斧屋文達 (ふおくもんたつ) を招聘して小庵を結んだのが始まりで、家勝の子・家範が父の冥福を祈るために寺院を創建したと云う。
山門に掲げられた「武陽山」の扁額は、天台座主・輪王寺門跡であった公弁法親王 (こうべんほっしんのう) が、元禄十年 (1697年) に筆をとったもの。
まだ真新しい金剛力士・阿形像。
隣の金剛力士・吽形像。
山門をくぐって参道を進む。
随分立派な石燈籠が並んでいるなぁと思って調べてみると、徳川家の菩堤寺である増上寺から移築された燈籠だった。ちなみに、能仁寺は、飯能戦争 (戊辰戦争) の時に幕臣側についた人たちの本陣となっており、官軍の攻撃で伽藍が焼失している。
中雀門をくぐる。
最初に目に付くのは「妙観察智」とかかれた大きな卒塔婆。
1936年再建の本堂。御本尊は、毘盧遮那仏。
開山の斧屋文達坐像を安置する位牌堂。
左奥は不動堂。右は坐禅堂。
御朱印と受付をする大書院。本堂の裏にある庭園は、日本名園百選に選ばれており、300円で拝観できる。
鐘楼。
境内にはテーブル・ベンチや東屋などの休憩所もあった。
ひと通り境内を見てから天覧山の登山口へ向かった。
「天覧山登り口」の道標に従って登山道に入った。ちなみに、日の入りから日の出まで関係者以外天覧山への入山は禁止されている。
しばらく進むと東屋とトイレがある天覧山中段に出た。
天覧山中段のトイレ。
さらに進む。
分岐で十六羅漢像・岩場コースに入った。
山側の岩場に、十六羅漢像や地蔵菩薩などが安置されていた。
5代将軍綱吉が病に侵された折、黒田直邦の勧めによって能仁寺の泰基 (たいき) 和尚による平癒祈願が江戸城で行われ、その霊験により綱吉は健康を取り戻したと云う。それを喜んだ綱吉の生母・桂昌院により、十六羅漢像が寄進されたと伝えられる。
配置図によって羅漢像の名前が分かるようになっていた。こちらは「第八 弗多羅尊者 (ほったらそんじゃ)」。ちなみに愛宕山と呼ばれていた山は、十六羅漢の寄進後は羅漢山と呼ばれるようになった。(後に天覧山と改称)
さまざまな石仏を眺めながらのんびり歩いた。
途中の折り返し地点は展望がきいた。
折り返してしばらく上ると天覧山の山頂に着く。

天覧山 / 標高 197m 9:35–9:40

天覧山の山頂に到着。天覧山の元の名は愛宕山、ついで羅漢山と呼ばれていたが、明治16年 (1883) に明治天皇が山麓で行われた近衛兵の演習を山上から統監したことにより、天覧山へ改称された。
山頂には展望テラスがある。丹沢山や富士山、奥多摩の山々がよく見えていた。
関東平野も一望できた。
しばし眺めを楽しんでから、多峯主山へ向かった。
木段を下って行くと分岐に出た。
天覧入 (てんらんいり) と呼ばれる谷地を進む。
しばらく開けた湿地の脇を進む。野鳥の鳴き声がよく聞こえて、気持ちのよいところだった。
再び山道に入って「見返り坂」の木段を上る。
気持ちのよい樹林帯が続く。

雨乞池分岐

雨乞池の分岐に到着。
かつて水が枯れたことがないと云う雨乞池 (あまごいのいけ)。
急な石段を上る。

黒田直邦の墓

石段の先に黒田直邦のお墓があった。黒田直邦は、江戸時代中期に幕府の要職を歴任して老中にまでなった武士で、下館藩や沼田藩の藩主となった大名である。飯能地方を領した宝永4年 (1707) 以後、祖先である中山家勝が創建した能仁寺を中興するなど当地の発展に貢献した人物である。
お墓からひと上りすると山頂に着く。

多峯主山 / 標高 271m 10:10–10:15

多峯主山に到着。思った以上に多くのハイカーが休憩していた。
西方面の眺め。川苔山や蕎麦粒山、大持山や武甲山など奥多摩・奥秩父の山々が並ぶ。
左は大持山と小持山、右は武甲山。
北北西側には関八州見晴台や物見山など奥武蔵の山々が並ぶ。
真ん中は関八州見晴台で、その右は越上山 (おがみやま)。
北側の樹間に日和田山も見えた。
東側には広大な関東平野が広がる。
東京スカイツリーと東京のビル群。
南東側の眺め。左には天覧山が見える。
南南西の眺め。左奥に丹沢の山々。右には大岳山や御前山など奥多摩の山々が並ぶ。
丹沢の山々。左に大山、真ん中に丹沢山、蛭ヶ岳、檜洞丸と続く山塊、右端は大室山。右手前にはこれから向かう龍崖山も見える。
左奥に富士山、右に大岳山と御前山。
富士山も見えて、低山とは思えない展望のよさに驚いた。
しばらく眺めを楽しんでから御嶽八幡神社方面へ進んだ。
山頂のすぐ下にあるトイレ。コース上にトイレがあると、とても助かる。
きちんと整理された石段を上る。

御嶽八幡神社 10:25

御嶽八幡神社の屋根が見えてきた。
御嶽八幡神社奥宮は、多峯主山の南西側中腹の前岩とよばれる岩壁の上に鎮座している。
御嶽八幡神社奥宮からも丹沢と富士山などが見えた。
御嶽八幡神社奥宮からは急な下りが続いた。
急坂が続くので足元に注意して下る。
牛頭天王の祠まで下りて来た。
歴史を感じさせる石の手水鉢。
常盤平方面との分岐をわけて、吾妻峡方面へ向かった。
分岐を過ぎるとクスノキの巨木が現れた。
枝ぶりも立派で、ご神木の雰囲気があった。
石段を下って行く。
途中からよい石段だなぁと感じ入って、石段の写真を何枚も撮った。
歴史を感じさせる石段が続く。
気持ちのよい谷地に出た。
平坦な道をしばらく進むと、民家と鳥居が見えてきた。
鳥居を出て右に進むと不動明王の石仏が鎮座していた。
県道70号 (飯能下名栗線) に出た。
県道70号を西へ進む。
途中の横断歩道を渡って、住宅地を入間川の方へ進んだ。
道がとても狭くなったので、誰かの敷地内かもしれないと感じて携帯で現在地を見ながら右往左往していると、庭先のおばあさんが、「合ってるよ、その先の赤い屋根で曲ればいいよ」と教えてくれた。赤い屋根は荒瀧不動明王を祀ったお社だった。
荒瀧不動明王の前を通って、狭い道を下りて行く。

吾妻峡 ドレミファ橋 / 標高 105m 10:55

吾妻峡のドレミファ橋を渡って、入間川の左岸から右岸へ進んだ。
飛び石でできた橋を渡るのは楽しかった。増水時は当然渡れなくなるが、こういう橋は面白い。
ドレミファ橋の上から眺めた入間川上流。遊んでいる親子を見かけたが、夏にはよい遊び場所になりそうだ。
下流の方へ少し歩いてみることにした。
川沿いの池には氷が張っていた。

兎岩 (吾妻峡) 11:10

兎岩まで歩いて引き返した。
ドレミファ橋の近くからコースに戻った。
坂を上って吾妻峡を出る。
吾妻峡遊歩道入口に到着。舗装路を左に折れて、八耳堂のある東側へ進んだ。
二車線道路に出ると、道路を挟んだ向こう側に八耳堂の入り口が見えた。

金蔵寺 八耳堂 (こんぞうじ はちじどう) 11:25

八耳堂は、真言宗智山派の金軸山無量院金蔵寺の境外仏堂で、太子堂とも呼ばれる。堂宇脇の宝篋印塔 (ほうきょういんとう) は、飯能市有形文化財に指定されている。
歴史を感じさせるお地蔵様と石碑。
石燈籠と狛犬。その後ろには小さな池もある。
狛犬のアップ。
八耳堂の創建は保元年間 (1156-1158) と云われ、現在のお堂は文政3年(1820)に再建されたもの。
柱の彫り物。
堂内には本尊である聖徳太子立像が安置されている。
登山道の入口がどこにあるか分からなかったが、とりあえず鳥居の奥へ進んでみた。
八耳堂の奥には軍太利神社があった。鎌倉時代の建仁2年 (1202) に、飯能地方の武士・大河原四郎が創建したと伝われる。
趣のある石燈籠。
妻は軍太利神社にまでお参りしていた。
軍太利神社の奥にも堂宇があった。
案内板によると、鎮守 摩利支天様を祀ったお堂とのこと。
摩利支天は仏教の守護神である天部の一尊で、陽炎を神格化したもの。勝利をもたらす戦いの神様として、多くの武将に信仰されたと云う。
摩利支天社の先に龍崖山 (りゅうがいさん) の登山口があった。
道標に「第一ロープ坂」と書かれた急坂を上る。
急坂を上り終えて、三四郎平を通過した。
少し進むと、急坂で山頂に至る道と、なだらかな道で山頂に至る道との分岐があったので、急坂コースへ進んだ。
第二ロープ坂の急坂を上る。
トレーニングのつもりでせっせと坂を上った。

龍崖山 (りゅうがいさん) / 標高 246m 11:45–12:00

龍崖山の山頂に到着。登山者が数組休んでいた。
山頂は広くてベンチも数があった。おにぎりを食べて小休止することにした。
北側の樹間には多峯主山や日和田山など奥多摩の山々が見えた。
右が多峯主山で、真ん中奥が日和田山。
西側は武甲山など奥秩父の山並み。
東側は関東平野が広がる。
筑波山がうっすら見えていた。
下山開始。龍崖山公園へ下る。

富士山見晴らし台

少し下ると富士見晴らし台に出た。
さらに下った場所も眺めがよかった。
眺めのよい場所の脇にも下山路があって、コースに戻れた。
少し下って、上り返しとなった。

燧山 (ひうちやま) / 標高 234m 12:10

燧山に到着。
小さな山頂にはベンチがあって、展望もきいた。
写真だけ撮って先へ進んだ。
再び上り返しとなるが、距離は短い。
詳しいコース地図を持っていなかったが、道標が整備されていたので安心して歩けた。
どんどん下る。
龍崖山の登山口が見えてきた。

龍崖山公園 12:25

龍崖山公園に到着。
階段を上って公園広場へ向かう。ベビーカーでも上れるスロープも付いていた。
公園の広場まで上がった。
上から眺めた龍崖山公園。
左奥は公園のトイレ。
方角がよく分からなかったが、とりあえず北西側へ進んだ。
大きな工場が立ち並ぶ道を進む。
コスモ工機 (株) の看板を左に折れて、広い車道沿いを北北東へ進んだ。
しばらく歩道を進むと車道は左へカーブして、東向きの直線となった。
ローソンとセブンイレブンを過ぎて美杉ニュータウンの住宅街に入った。
美杉観光バスのところで左に折れて、あさひ山展望公園へ向かう。

あさひ山展望公園 12:50–12:55

あさひ山展望公園に到着。
小高い丘がそのまま公園になっていた。
階段を上がって、あさひ山展望公園の円形広場に出た。真ん中に日時計があり、その周りにベンチがずらりと並んでいた。
方角が分かる指標もあった。
西側。
南側。
北側。広場の奥はあさひ山。
代表的な山の方角が分かる標識も設置されていた。こちらは武甲山。
富士山もあった。
北側の東屋前から眺めたあさひ山展望公園。
ひと通り眺めを楽しんでから、あさひ山方面へ進んだ。山の尾根を歩いて北側の大河原へ下る。
東側の美杉台へ下る道もあるので、最初の分岐を左へ進み、方角に注意しながら植林帯を進んだ。
おおまかな地図しかないので一抹の不安はあったが、一本道が続いて方角もあっていたので徐々に不安は解消された。
急な下りとなってしばらく進むと車道が見えてきた。登山道を出てすぐに美杉台・大河原コースの道標があった。
県道28号 (青梅飯能線) を東側へ進む。
岩根橋を渡って入間川の北側を歩くつもりだったが、歩道がなかったので橋を戻って入間川の南側の道を進んだ。
分岐を真っ直ぐ進み、住宅街を通って割岩橋へ向かう。

割岩橋 13:30

割岩橋を渡る。少し遠回りとなるが、こちらの方が安全に歩ける。
割岩橋から眺めた飯能河原。夏は大勢の人で賑わう場所だが、この時期はさすがに人の姿が少ない。
途中から飯能河原沿いの遊歩道に下りて進んだ。
2022年にそーちゃん (孫) たちと飯能河原に遊びに来たことを思い出した。
遊歩道沿いに鎮座する水天宮。
道標に従って「天覧山・博物館」方面へ進む。
中央公園通りを歩いて駐車場へ。

中央公園第2駐車場 13:40

中央公園第2駐車場に到着。駐車場は満車で空きを待つ車が待機していた。

Course Information コース地図&その他の情報

登山コースデータ

単純標高差    :  166 m
累積標高     :  610 m
コース距離    :  10.8 km
標準コースタイム :  4 時間 45 分

歩行データ

総行動時間  :  4 時間 30 分
総歩行時間  :  4 時間
総休憩時間  :  30 分

利用した駐車場について / 中央公園第2駐車場

  • 道路を挟んで第1駐車場あり。両方合わせて200台以上駐車可。
  • 利用時間は8:00~21:30。駐車料金は無料。トイレ有。
  • 人気の駐車場なので早めの到着が吉。
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次