2020/10/16 ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

国立西洋美術館で開催中のロンドン・ナショナル・ギャラリー展へ妻と行ってきた。新型コロナの影響で日時指定制になっていたので、購入済みのチケットを払い戻そうと考えていたところ、払い戻し期間を過ぎていることに先日気づき、結局200円/1名の日時指定券を追加購入して本日観覧という運びとなった。

9時30分の受付開始と同時に館内に入場。人数制限がされている上に、まだ人は少なかったので快適に見て回ることができた。世界の美術館入場者数トップ10に入るロンドン・ナショナル・ギャラリーが、200年の歴史で初めて館外で大規模な所蔵作品展を開催する。しかも展示の61作品すべてが初来日ということで、新型コロナ禍がなければ激混みは間違いなしであっただろう。それが全作品、正面に立ってじっくり見ることができたのだから、不幸中の幸いと言える。

全体的な印象としては、もう少し頑張ってもらいたかったなぁという気もしたのだが、トマス・ローレンスの「55歳頃のジョン・ジュリアス・アンガースタイン」、ディエゴ・ベラスケスの「マルタとマリアの家のキリスト」、カミーユ・コローの「西方より望むアヴィニョン」など、印象に残る作品は多くあり、中でもレンブラントの「34歳の自画像」とゴッホの「ひまわり」には感服した。ただもう素晴らしかった。

レンブラントの肖像画から感じられるのは、そのような人となりの人間がそこに息づいているという存在感。自信と自負に満ちたレンブラントがそこにいるという感じで、脂の乗り切った画家の比類なき力量がありありと伝わってきた。暗い色調で描かれた服装から伝わるシックで重厚な品のよさは、質感の違いを正確に表現する技巧と色彩感覚に支えられており、細部にまで画家の神経が行き届いている。何をもって完璧とするかはわからないが、非の打ち所ないという印象で、圧倒される思いがした。

最後に見たゴッホの「ひまわり」は、展覧会の中でも別格の扱いだったが、確かにこの作品を見るためだけにチケットを買って足を運ぶ価値があると思える作品でした。黄色いひまわりを描くのに、花瓶も黄色、背景の壁も黄色、花瓶を置く台も黄色と、通常では考えられない配色なのに、違和感を生むどころが、ひまわりを強烈に印象づけてしまう。絵を写真で見た限りでは大胆で個性的な作品としか見えないのに、実物は”本物の芸術”としか形容できない異次元のインパクトを見る側に残す。この感覚は、2010年にオルセー美術館展で「星降る夜」を見たときとまったく同じ。チケットの払い戻し期間が過ぎていて本当によかった。あやうくゴッホの素晴らしい傑作を見逃すところでした。

それにしても不思議なのは、同じゴッホが描いたのに、SOMPO美術館(旧・東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館)のひまわりとは見たときの印象が違ったこと。日本興和のひまわりからは、それほどのインパクトは感じ取れなかった。照明など展示の仕方に問題があるのか、はたまた微妙なバランスで成り立つ芸術作品としての差異なのか、いまもってよく分からない。確かなのは同じ作者で同じモチーフなのに、作品から感じられるものがまったく違っていたということ。SOMPO美術館へ足を運んで、もう一度日本にあるゴッホのひまわりを確かめたくなりました。

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