2024/3/31 【登山】仙元山から大日山・物見山と足を延ばして割合へ下山

目次

About this Hike 今回の登山について

 6時半起床、7時20分出発。小川町の桃源郷に立ち寄って満開のハナモモやサンシュユなどを見てから、登山の起点となる道の駅おがわまちに駐車した。

 西光寺のカタクリ群生地を見てから登山道へ入り、見晴らしの丘公園の展望台と百庚申に寄って、仙元山に登頂。その後、青山城跡、大日山、物見山と周遊して割合方面へ下り、槻川沿いの道を歩いて道の駅の駐車場へ戻った。

 登山の計画を立てる際に、割合からの林道歩きが長いことが気になっていたが、槻川沿いの道は解放感があって気持ちのよい道だった。登山というよりハイキングといった感じで、春の花と里山歩きをのんびり楽しめた。

Hiking Report 登山の記録

道の駅おがわまち 無料駐車場 9:30

早朝に小川町の桃源郷を見てから、道の駅おがわまち (リニューアル工事で閉鎖中) へ移動した。
国道254号沿いの駐車場はすでに満車だったが、施設南側の広い臨時駐車場はまだ空いていた。
駐車場近くの大寺橋を渡って、カタクリ群生地がある西光寺へ向かった。
槻川 (つきかわ) は、都幾川 (ときがわ) の支流で荒川水系の一級河川。下流域には嵐山渓谷として知られる景勝地を有し、歴史ある小川和紙はこの清流を利用して生産されている。
六地蔵の隣に、年季の入った石仏が並んでいた。

西光寺 (カタクリ群生地) 9:35–9:50

橋を渡ると西光寺はすぐそこ。
瑞龍山西光寺は曹洞宗に属する寺院で、「大寺」の通称で知られている。本尊は釈迦如来で、室町後期の開創と云われる。
色とりどりの花が浮かべられた「花手水 (はなちょうず)」。
鐘楼門と枝垂れ桜。
西光寺の本堂。
境内に咲くレンギョウ。
満開のユキヤナギ。
ミズバショウまで咲いていた。
駐車場の奥に入った境内裏手の斜面にカタクリ群生地があった。出入自由で、お寺保全の協力金を募っていたので、僅かな金額だが募金しておいた。
カタクリはまさに満開。
視線を延ばすとカタクリが斜面を埋め尽くしていた。
カタクリは色と形に気品がある。
遊歩道近くに咲く形のよいカタクリを探して、写真をたくさん撮った。
何か動くものがあるのでよく見ると、大きなヒキガエルだった。
登山にミラーレスを持ち歩くようになってから、花を撮るのが楽しみのひとつになったと感じる。
お寺を出たところに咲いていた紫と黄色の花。園芸種のパンジーかビオラのようだ。
舗装路を歩いて登山口となるカタクリとオオムラサキの林へ向かう。
アルゼンチン原産のハナニラ。
道端に咲いていた菜の花。
道標に従って脇道に入る。
外来種のヒメリュウキンカ。
カタクリとオオムラサキの林の展示館兼休憩所を通過。
途中から木段となって、ゆるやかな上りが続いた。

見晴らしの丘公園 10:10–10:20

林道に出て、203mの巨大なローラー滑り台がある見晴らしの丘公園に到着した。
公園の展望台へ向かう。
展望台の上から眺めたローラー滑り台と駐車場。
西南西方面の仙元山。右奥には堂平山、笠山、大霧山と奥武蔵の山々。
北西方面には小川町が一望できる。
園内の桜が満開だった。
林道を東へ進んで仙元山へ向かう。林道沿いの山側斜面にカタクリが点々と咲いていた。
東屋の傍から再び登山道に入った。
樹林帯をしばらく進むと、パラグライダー用の発進場があった。
山頂近くになって登山者の数が増えてきた。

百庚申 10:40

山頂の手前にある百庚申に立ち寄った。
ずらりと並ぶ庚申塔。

「庚申」とは、中国の道教に起源をもつ仏教と神道の影響を受けた民間信仰のことであり、庚申信仰に基づいて建てられた石塔が「庚申塔」である。
庚申塔を100体集めたもの、あるいは庚申塔が多数集められた場所を「百庚申」と呼ぶ。19世紀末の道路拡張の際には道端の庚申塔が多く破壊されたが、別の場所へ移されて破壊を免れた場合もあり、1カ所に集められた石塔群に百庚申の名がよく付けられている。
ちなみに、「庚申」という言葉は、60 日を一周期とする中国の干支 (十干十二支) の 57 日目を指す。

外来の信仰が時代とともに形を変えて、現世利益を望む人々の思惑によっていつしか行事や遊びやお金儲けに利用されるようになり、ついには忘れ去られて今では石塔だけがひっそりと佇んでいる。

庚申塔庚申信仰については、簡単な歴史をWikipediaで読むだけでも面白かった。

江戸時代には庚申塔造りが盛んになり、60年に1度の庚申年である寛政12年(1800)と万延元年(1860)には、多くの庚申塔が造られたらしい。

仙元山 標高 299m 10:45

山頂に到着。
山頂は北側が開けているのみ。遠望がきく日であれば、街並みの向こうに榛名山などが見える。
そのまま青山城跡へ向かった。
10名以上の団体が前を歩いていたが、ガイドの方が声をかけて先に行かせてくれた。
道標に従って青山城跡方面へ向かう。
道標から数分上ると、溝のような「堀切跡」が出てきた。

青山 (割合) 城跡 11:00

南東に配された三の郭(くるわ)跡を通過。
堀切跡を通過して本郭跡に到着した。
本郭跡を通って、二の郭跡へ進んだ。
本郭跡の端に、石垣のような跡があった。
二の郭跡を通過して、そのまま大日山へ向かった。
起伏はあってもゆるやかで、ほとんど平坦な道が続いた。
スギとヒノキの花粉が大量に出ていたようで、大日山の手前でくしゃみと鼻水がいきなり酷くなった。

大日山 11:25–11:40

大日山に到着。
展望は限られていたが、、堂平山と笠山が見えた。
お腹が減ってきたので昼食にしたが、鼻呼吸ができない状態だったので、咀嚼しながらの呼吸が大変だった。
食事を終えて、先へ進んだ。
途中の道標に小さく「物見山」と書いてあったので、ここが山頂かと思ったが違っていた。
物見山の手前に巻道もあった。

物見山 11:55

物見山に到着。山頂は樹林帯の中で、標識がなければ、山頂と分からないような頂だった。
そのまま先へ進んだ。
小倉城跡まで足を延ばすことも考えていたが、花粉症の症状が酷いので、物見山から割合へ下ることにした。
途中で大きなヤマザクラの横を通過した。
よく見ないと気付かないほど小さなイトトンボ。セスジイトトンボの雌だろうか。
細い草の上にいたナガメ。集落の近くまで下りてくると、虫が目に付くようになった。
ユリワサビ。
セントウソウかな。
葉が放射状に広がるヤエムグラ。花はまだ咲いていなかった。
割合の舗装路に出た。
板碑かと思ってよく見てみたが、板碑と同じ緑泥石片岩でつくられた墓石ようだった。
道端に咲いていたスミレ。
ムラサキケマンも咲いていた。
道端でたくさん見かけたヒメオドリコソウ。
ニリンソウも咲いていた。
道標はないが、1本道なので問題なし。
セイヨウタンポポ。タンポポもあちこちで見られるようになってきた。
スミレの仲間も見ることが増えてきた。
道端の花を撮るのに、たびたび待ってもらった。
群生していたカラスノエンドウ。
カラスノエンドウの中にオランダミミナグサが混じっていた。
どこでも見るようになった外来種のムスカリ。
鮮やかな紫色のショカツサイ。三国志の諸葛亮が名前の由来で中国原産。すでに帰化して日本各地で見られる。

割合橋 12:40

槻川 (つきかわ) にかけられた割合橋を渡る。
川遊びができそうな、里山にぴったりの清流だと感じた。
橋を渡って左に折れると、川沿いに広々とした気持ちによい道が続いていた。
ベニシジミ。動きがせわしなくて、なかなか止まってくれない。
ホトケノザがヒメオドリコソウやオオイヌノフグリなどの群落の中に咲いていた。
島根橋のそばで舗装路に突き当たったら、左 (北側) に折れて橋を渡る。
島根橋から眺めた槻川。
色鮮やかなヒメキンセンカ。
舗装路では団体も含めてサイクリングの自転車を度々見かけた。

かたくりとニリンソウの里 13:15–13:20

柳町橋の手前で左へ折れて、かたくりとニリンソウの里へ立ち寄った。
ここでもカタクリがたくさん見られたが、遊歩道からは遠いところに咲いている花が多かった。
ニリンソウの数はまだ少なかった。
ニリンソウの葉はたくさん見かけたので、そのうち白い花で埋め尽くされそうだ。
柳町橋を渡る。
大きな鯉が泳いでいた。釣り竿を持った若者が歩いていたが、フィッシングエリアが決まっていて、近くのコンビニで入漁証を販売しているようだ。
ラッパスイセン。
白っぽいピンクと赤のウメ。

道の駅おがわまち 無料駐車場 13:35

槻川沿いの舗装路を道の駅おがわまちの駐車場まで戻った。

Course Information コース地図&その他の情報

登山コースデータ

単純標高差    :  219 m
累積標高     :  465 m
コース距離    :  9.4 km
標準コースタイム :  3 時間

歩行データ

総行動時間  :  4 時間 5 分
総歩行時間  :  3 時間 20 分
総休憩時間  :  45 分

利用した駐車場について

道の駅おがわまちは現在 (2024年4月) 大規模リニューアル中で全施設が休業中ですが、駐車場は開放されています。普通駐車場は13台のみですが、南側の臨時駐車場は40台くらい停められます。国道254号から入って駐車場が一杯の場合は、そのまま敷地内を通って臨時駐車場へ行けます。

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